グラクソ・スミスクライン株式会社が運営する喘息情報ウェブサイト「Zensoku.jp」にて、当HP編集長・二宮清純がナビゲーターを務める対談シリーズ「二宮清純のゼンソク人間学」が好評配信中です。このシリーズでは幼い頃から喘息に悩まされてきた二宮が、病気を克服して活躍しているスポーツ選手、元選手と対談。喘息をいかに乗り越えるかというテーマで話を進める中で、この病気への理解を深め、患者さんを勇気づけることを目指しています。今回はプロレスラーの高山善廣選手と、喘息の専門医で仁友クリニック院長の杉原徳彦先生との対談を実施。その前編を公開しました!

当サイトでは対談の一部を特別にご紹介します。
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 仰向けに寝られないほどの発作

二宮: 高山さんとは以前、喘息に関する研究会でも対談をしましたね。高山さんが喘息だと初めて聞いた時には信じられませんでしたよ。
高山: アハハハ。そうでしょうね。他の方からもよく言われます。

二宮: 発症したのはいつ頃でしょう。
高山: 物心ついた時には症状が出ていました。発作が出ると仰向けには寝られない。ずっと横になって一晩中、母に背中をさすってもらっていましたね。

二宮: 当時はどのような治療を?
高山: カプセルに入った薬を吸入器に入れて、粉にして吸っていました。発作が出た時は必ずしていましたね。それを吸うと、とりあえずは症状が治まる。ひどい時には毎日、薬を使っていました。

杉原: 私も実は小児喘息で、同じ薬を服用していました。飲み薬も使っていました。今のように吸入器が発達していなかったので大変だったことを覚えています。

二宮:  喘息は成長するにつれて症状が改善するパターンもありますが、高山さんは?
高山: 僕も徐々に良くなって、薬を使う回数が減っていきました。中学では剣道、高校ではラグビーをやれるくらいになりましたね。

杉原: 私も中学で剣道をしていて、練習の度に発作が出てしまい、それで部活動を断念せざるを得なくなった。ものすごく悔しかったですね。高校のスキー部でも合宿中に発作が出て、隠れて薬を使っていました。ちょうど祖父も父も喘息の専門医で、私自身もつらい思いをしてきた経験が今の道につながっています。
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後編は4月中旬更新予定です。どうぞお楽しみに。
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