岸川登俊(白寿生科学研究所人材開拓課)第95回「打撃投手の仕事/前編 現役時代以上のプレッシャー」

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 読者の皆様、白寿生科学研究所の岸川です。2020年、コラム初登場となります。本年もよろしくお願いいたします。さて今年はオリンピックイヤーということもあり、昨年のラグビーW杯同様、日本中が盛り上がる年になりそうです。今回の東京オリンピックでは野球とソフトボールが復活しました。野球日本代表は昨年のプレミア12で優勝したこともあり、オリンピックでもメダルを期待してしまいます。


 このコラムが掲載される頃、プロ野球は各地で春季キャンプが行われています。グラウンドでは選手たちをサポートする裏方の打撃投手(バッティングピッチャー、BP)やブルペン捕手もユニホームを着て働いています。今年も現役を引退した何人かの選手が打撃投手の職に就きました。今度は味方選手のために腕を振ることになります。

 

 私は打撃投手時代、知り合いの方から何度か「打撃投手というのは楽な仕事だよね」と言われました。「なぜですか?」と聞くと、「打撃練習でストライクを投げればいいんでしょ」という答えが返ってきました。確かにその通りなのですが、実は「ストライクを投げること」、それが難しい。

 

 現役時代はただ相手を打ち取るためにコーナーを狙い投げていました。投げるボールがカットしようがシュートしようが落ちようが、相手打者を打ち取れば良いのです。ですが、打撃投手になると話が変わってきます。今度はストライクに投げて、味方の打ってもらいます。その球はなるべくいい回転のストレートを投げなければなりません。選手に要求されれば変化球も投げます。

 

 打者を打ち取ることから打たせる立場に変わったとき、思考も180度変わります。そこが難しく、大変なのです。せっかくの機会なので打撃投手という仕事の難しさを、振り返りながら書いていきたいと思います。

 

 私はオリックスを戦力外通告された翌年の2002年から読売巨人軍で打撃投手を16年間務めさせていただきました。当時の私は「立場は変わるけど、今度は選手のためにプロ野球界で頑張ろう」と思っていました。

 

 初めて打撃投手として臨むキャンプ前、私は社会人野球でお世話になった東京ガス出身の選手を相手に打撃投手を務め、準備万端で裏方としての初キャンプに臨みました。

 

 当時の巨人の主力と言えば松井秀喜選手、清原和博選手、高橋由伸選手、阿部慎之助選手など挙げたらきりがないくらいスターが集まっていました。打撃投手の仕事は読んで字のごとく選手の打撃練習の際にストライクを投げ選手に打ってもらうのですが、キャンプが始まった当初は私は何も考えず、投げる選手もコーチの計らいで若手相手に投げていました。

 

 キャンプも日数が経過すると段々と投げるメンバーが変わっていきます。若手選手からサブメンバー、そしてキャンプも中盤になると主力選手が相手です。

 

 当時の宮崎キャンプは球場が今よりも狭く、収容人数も3000人程度だったので、立ち見ができるほどのお客さんが来ていました。若手選手に投げているときにはあまり気にならなかったのですが、主力選手に投げてそれがホームランになると観客席から拍手や声援が上がります。そんな経験がない私は現役時代には感じたことのない緊張感の中で松井選手や高橋選手に投げ、彼らが連続してホームランを打った時などは球場全体が盛り上がったことを記憶しています。

 

 さらにバッティングゲージの後ろには長嶋茂雄終身名誉監督や原辰徳監督、プロ野球の名だたるOBの方々が主力選手のバッティングを見ています。別に私を見ているわけではありませんが、正面にそういった方々がいると余計にストライクを投げなければいけないと、すごいプレッシャーがのしかかってきたものです。このプレッシャーは選手時代に感じたものとは全くの別物でした。

 

 そこにいる全員が打撃投手は「当たり前のようにストライクを投げる」と、そういう目で見ているのです。この緊張感たるや……。連続してボールが続くと球場が静まり返るのです(汗)。

 

 ボールが続くと選手は打たない。ストライクを投げなければいけない。これこそが打撃投手の難しさだと、そのときに感じました。打撃投手の投球は何が難しく、そしてその難しさがどう自分のピッチングまでを変えてしまったのか。それについては次回のコラムに書きたいと思います。では次回もお楽しみに!
(つづく)。

 

<岸川登俊(きしかわ・たかとし)プロフィール>
1970年1月30日、東京都生まれ。安田学園高(東京)から東京ガスを経て、95年、ドラフト6位で千葉ロッテに入団。新人ながら30試合に登板するなどサウスポーのセットアッパーとして期待されるも結果を残せず、中日(98~99年)、オリックス(00~01年)とトレードで渡り歩き、01年オフに戦力外通告を受け、現役を引退した。引退後は打撃投手として巨人に入団。以後、17年まで巨人に在籍し、小久保裕紀、高橋由伸、村田修一、阿部慎之助らの練習パートナーを長く務めた。17年秋、定年退職により退団。18年10月、白寿生科学研究所へ入社し、現職は管理本部総務部人材開拓課所属。プロ野球選手をはじめ多くの元アスリートのセカンドキャリアや体育会系学生の就職活動を支援する。

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