今季のプロ野球は東京五輪による中断のため、開幕が例年より1週間以上早い。両リーグとも7月18日に一度中断し、球宴と五輪をはさみ、五輪終了後の8月14日に再開する。

 

 プロ野球のレギュラーシーズンが1カ月近く中断するのは記憶にない。調べてみると1949年に日米野球のため、10月から11月にかけて3週間あまり中断したことがあった。

 

 旧知の野球解説者・川口和久が「今季のペナントレースは昔の2シーズン制の復活と考えた方がいい」と語っていたが、なるほど、言い得て妙である。順位こそ全143試合の勝率で決まるが、戦い方は昔、パ・リーグが実施した2シーズン制に近くなるかもしれない。

 

 1973年から82年まで10年にわたってパ・リーグは前後期制(2シーズン制)を敷いた。当時は阪急の実力が突出(1967年から72年までの6シーズンで5度優勝)しており、1シーズン制ではペナントレースの興趣がそがれる、というのが前後期制導入の理由だった。

 

 初年度の73年、いきなり前後期制の導入効果が表れた。72年に253万9800人だった入場者数が、73年には406万200人にまで増えたのだ。実に前年比60%増。50年の2リーグ分立以降、パの入場者数が400万人の大台に乗ったのは初めてのことだった。

 

 前後期制の主役はプレーイングマネジャー野村克也率いる南海だった。長丁場の戦いになれば、総合力がモノを言う。逆立ちしても阪急にはかなわない。しかし、前期か後期、どちらか一方なら、勢いに任せて制することができる。弱者が強者に勝つには機先を制するしかない――。そう考えた野村は前期に全ての選手資源を投入した。これが功を奏し、阪急に8勝5敗と勝ち越し、前期を制したのである。その反動もあって後期は阪急に0勝12敗1分けとボロボロ。だが、これも知将には計算通り。阪急とのプレーオフを3勝2敗で制したことで「死んだふり」と揶揄されたものだ。

 

「前期、遮二無二勝ちにいくことで阪急への苦手意識を払拭し、チームに勢いをつけたかった。それがプレーオフにもつながった」。生前、野村は“前期集中”の理由をそう語っていた。

 

 通年制の今季と前後期制とを同一視はできないが、「ノムラの戦い」には疑似2シーズン制に臨むにあたってのヒントが隠されている。特に下馬評の低いチームには…。

 

<この原稿は20年2月19日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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