プロ野球で戦後初の3冠王に輝き、監督として日本一に3回輝いた野村克也さんが11日、虚血性心不全のため死去した。84歳だった。現役時代、通算歴代本塁打数2位(657本)、通算安打数2位(2901本)を記録するなど名キャッチャーとして活躍。指導者としてID野球をベースに、プロ野球の一時代を築いた。指導者、解説者時代も独特の“ぼやき”でプロ野球ファンを楽しませてくれた野村さんが語るID監督論。11年前のインタビューを今一度、読み返そう。

 

 <この原稿は2009年2月号『Voice』に掲載されたものです>

 

二宮清純: 今年も楽天は野村監督が率いるということで、楽しみにしています。

野村克也: 3年契約が終わり、3年ともBクラスでしたから、責任を取らざるをえないと思って「辞めさせていただきます」と伝えたのですが、島田社長からは「もう1年お願いしたい」といわれました。さらに、続投の条件として「次の監督を育ててほしい」という話がありました。

 

二宮: 楽天の目玉としては今季、中村紀洋の入団が決まりました。

野村: 彼はなぜ、うちに入ろうと思ったんですかね。

 

二宮: いや、それこそ野村監督にお聞きしたかったことですよ(笑)。中村は「野村監督を胴上げさせたい」と話していました。その一方、野村監督は彼に「高下在心」と書かれた色紙を贈りました。物事が成るかどうかは、己の「心」次第である、と。

野村: 最初は手紙を書こうと思いましたが、いろいろ考えた結果、「一度にあれこれいっても仕方ないな」と思い、シンプルなかたちにしました。あえて短い言葉を伝えることで、彼の考えのヒントになればいい、と思いました。それに、まさか「どうぞ楽天に来てください」とは書けないでしょう(笑)。

 

二宮: 最近の若い監督は、ああいう格調の高いことをしないので、素晴らしいと思いました。

野村: 私も年を取ったのかな(笑)。昔は、「心」という言葉が好きではなかったんです。野球に携わる人に精神面を強調する人があまりに多いので、「心で勝てたら苦労はない」と内心、馬鹿にしていたところがありました。ところがお恥ずかしいことに、70歳を過ぎてようやく「心」というものがうっすらと分かりかけてきた。

 中村に伝えたいことは、彼の年齢になったら、若手の鑑となるように、人格の形成、自己の成長を図ってほしいということ。引退後の自分の姿も見据えて、野球と並行して自分の哲学、思想を作り上げてほしいと思います。

 楽天の社長も代表も私より年下で、いろいろ意見をいうものだから、難儀に感じていることでしょう。とりあえずあと1年ということで、次の監督については思案中だと思います。なにしろプロ野球界全体を見渡してもいまは監督不足、コーチ不足ですから。

 

二宮: 野球界の中に人材がいませんか?

野村: いません。なにも自惚れていうわけではありませんが、なぜこうも次の「監督の器」が出ないか、と思います。もちろん「地位が人をつくる」という見方もあって、監督に就任すれば監督らしくなるのでしょう。それにしてもある程度、素材というものがあって、誰が監督になってもよいというものではない。監督やコーチの不在という点で、いまのプロ野球に強い危機感をもっています。

 私が困ったのは、まずピッチングコーチです。野球チームの「組閣」で肝心なのは、ヘッドコーチと二軍コーチ、そしてピッチングコーチです。大事なピッチングコーチを誰に任すべきか。楽天の場合、選手育成の上手な広島に在籍していた経験を買って、紀藤真琴をコーチとして育ててきました。しかし結局、うまくいきませんでした。

 

二宮: 彼はコーチとして、どのような点が難しかったのですか。

野村: 言葉が非常に少ないことがまず第一です。管理職は意見や方針をはっきりと発言してくれなければ、選手だって困るでしょう。「沈黙は金」という言葉もありますが、コーチの場合、どう(銅)にもならない(笑)。育成選手と併せたコーチ育成は急務で、これを何とかしないと、プロ野球界の将来が危ぶまれます。

 

 得意技を見逃さず、チャンスを与える

 

二宮: 野村監督がコーチに望む要素のなかで、最も重要なものはなんでしょう。

野村: 哲学と思想です。曲がりなりにも人の上に立つ指導者になるのであれば、独自の哲学や思想を磨かなければいけません。一般の方は、プロ野球の監督やコーチともなれば、「野球のことなら何でも知っている」と思って質問するでしょう。若手選手だって同じです。そのときに恥をかかないよう、コーチとのスタッフミーティングでは「哲学を磨け」と繰り返しいっています。野球とは何か、バッティングとは何か、ピッチングとは何かについて、さまざまな角度から独自の視点を育てていかないと、とても人を指導することはできません。

 

二宮: 反対に、最近の野球解説者のなかには哲学や思想はおろか、実績もないのに、タレントのように振る舞っている人たちが少なくない。彼らの自信の根拠がよく分からない(笑)。

野村: まあ、解説者はともかく、監督の場合は「名選手は必ずしも名監督にあらず」ですから、頷ける部分もあるんです。

 私も気を付けなければいけないと思うのは、名選手だった監督は、できない選手の気持ちが分からない。「変化球はこう打つんだ」と、自分の経験をもとに話して、選手ができないと、つい「こんなこともできないのか」といってしまう。そうすると選手は反発を感じ、あるいは悩んでしまう。難しいことですが、監督の根本には「この選手を何とか一人前にしてやりたい」という愛情があるべきではないでしょうか。選手も人間ですから、指導に愛情があれば、必ずそれに報いようと頑張るものです。私は以前、社会人野球のシダックスの監督も務めましたが、プロ野球と違って、アマチュアでは選手の絶対数が少ない。すると、「何とかこいつを鍛えて、戦力にしなければ」と思うんです。

 たとえば、野間口孝彦というピッチャーをシダックスで育てて、何とか社会人野球で通用するレベルになったのですが、途端に巨人がドラフトでもっていってしまった。シダックスに柱のピッチャーが誰もいない、ということになって、残された3、4人のなかで、エースをつくらなければならない。まさかそのなかにいた武田勝が、日本ハムで通用するとは思わなかったけれども。楽天相手の見事なピッチングで「恩返し」されて、「俺は見る目がないのかもしれない」と痛感しました(笑)。

 

二宮: 彼にシュートやチェンジアップの変化球を教えたのは、野村監督ですね。

野村: 最初、武田の球種は真っすぐとスライダーしかありませんでした。また、球にことさらスピードがあるわけでもない。ただしコントロールは悪くなかったので、「とにかくシュートとチェンジアップを覚えろ」と「強制」しました。「左バッターにはインサイドのシュート、右バッターには外へのチェンジアップ。この2つを習得しないかぎり、おまえはうちの主力にはなれない」と言い聞かせました。幸運なことに、彼は器用だった。チェンジアップを覚えるだけで、真っすぐとスライダーが断然、生きてくる。武田のような選手が活躍するのは、日本プロ野球の発展にとってプラスでしょう。社会人野球のなかで「あいつができるなら俺も」と発奮する選手がでますから。

 

(中編につづく)


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