むしろ遅過ぎたくらいだ。野球殿堂博物館は阪神、西武で活躍した通算474本塁打の田淵幸一の殿堂入り(エキスパート表彰)を発表した。

 

 

 田淵のホームランを「日本一美しいホームラン」と評したのは、「プロ野球ニュース」のキャスターを長年務めた佐々木信也である。

 

 放物線を描く、文字通りのアーチ。普通、バッターは自らのバットが快音を発すると同時に走り出すものだが、田淵は打席で放物線の行方をじっとながめていた。

 

 おそらく本人は「間違いなくスタンドに飛び込む」との感触が手に残っていたのだろう。甲子園の夜空に舞い上がる白球に加え、その堂々とした所作にしびれたファンも多かったのではないか。

 

 私たちの世代は、やはり江夏豊との“黄金バッテリー”が忘れられない。学年こそ田淵の方が2つ上だが、田淵が阪神に入団する前年の1968年、江夏は25勝をあげ最多勝に輝いていた。この年にマークした401奪三振は、今もNPB記録だ。

 

 年上とはいえ、ルーキーだ。しかもチームでは自らの方が先輩だ。江夏は田淵を「ブチ」と呼び、田淵は「ユタカ」と返した。

 

 法大で東京六大学記録(当時)となる22本のホームランをマークした田淵だが、彼には捕手として欠点があった。それは左手首が弱いため、捕球の際、ミットが動くのだ。

 

 それを指摘したのが江夏だ。

「ミット動かしたら、ストライクがボールに見えるよ」

 

 この指摘が年上の田淵には屈辱だった。

「2、3キロの鉄アレイで左手首を鍛え始めたよ」

 

 これが打撃にも生きた。リストが強化され、さらに飛距離が増したというのである。

 

 黄金バッテリーのハイライトシーンは1971年7月17日、西宮球場でのオールスターゲーム第1戦だ。

 

 3回裏、江夏は阪本敏三、岡村浩二を空振り三振に切ってとり、これで8連続三振。9連続三振まで、あとひとり。

 

 迎えたバッターは代打の加藤秀司。カウント1-1からの3球目を、加藤はかろうじてバットに当てた。

 

 一塁のファウルグラウンドにフラッフラッと打球が上がる。マスクを脱ぎ捨て、それを追う田淵。次の瞬間、江夏は「追うな!」と叫んだのだ。「捕るな!」とは叫んでいない。

 

「どうせスタンドに入るから追う必要ない、ということよ」

 

 それが「追うな!」の真相だ。田淵も「追うつもりはなかった」と語っていた。

 

 4球目、江夏は渾身のストレートで空振りを奪い、大記録を達成したのである。

 

<この原稿は2020年2月14日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>

 


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