さる2月11日、虚血性心不全のため死去した野村克也さんは「講演の名人」としても知られていた。

 

 

 私が知る限りおいて、プロ野球の世界で野村さんほど講師として重宝された方はいない。

 

 生前、野村さんから「1日に3回やったことがある」と聞き、びっくりしたことがある。

「サッチー(沙知代夫人)が(講演を)入れたんやけど、こっちの懐には1円も入らん」

 

 本音とも冗談ともつかぬ口調で、そうボヤいていた。

 

 野村さんに「講演の極意は?」と訊ねると「野球以外のことはしゃべらないことですね」と言い、こう続けた。

 

「それが草柳大蔵先生の教えだったんです。誰もあなたから野球以外のことは聞きたくない。しかし、こと野球についてなら、あなた以上の人はいない。自分が経験したことのみを話しなさい、と……。」

 

 野村さんは評論家の草柳大蔵に私淑していた。サッチーの紹介で知り合ったという。

「僕は草柳先生を師と仰いでいた。僕は典型的な野球バカですから、ああいう人と一緒に食事をしながら話を聞いていると、本当に勉強になる。いろんな新しい発見というか、あの人のおかげで随分、私も考えが変わりましたよ」

 

 そして、こんな話も。

「これも草柳先生だったと思いますが、『人間は3人の友を持て』という有名な言葉があるというんです。『原理原則を教えてくれる人』『直言してくれる人』『師と仰ぐ人』。そういう3人の友を持て、と」

 

 こうした草柳の教えは、野村さんの血となり肉となっていった。

 

 ヤクルトの監督時代、選手に人前で話すことを薦めたのは、「話すことによって、自分の考えがまとまってくるからなんです」とも語っていた。

 

 野村さんは選手たちに、人前で話すこととともにメモを取ることも薦めた。ミーティングではメモを取ることを求め後日、レポートとして提出させていた。

 

 添削よろしく赤入れをすることもしばしばだった。

 

 人間的成長なくして、技術的進歩なし――。それが野村さんの口ぐせだった。

「プロ野球の世界は評価で成り立っています。その時、自分で自分を評価すると、どうしても甘くなりがちです。上の人間に対して、『なぜオレを使ってくれないのか』『なぜ、こんなに給与が低いのか』と憤りを感じることは、誰にでもある。

 

 しかし、評価というものは人がするものであって、他人の目から見れば、その人はやはりそれだけ評価が低いということです。

 

 不平不満を言う前に、まず自分自身が成長、進歩しなければならない。人間形成が技術の進歩と並行するというのが、私の考えの根本にあるんです」

 

 野村さんの言葉には、重みと深みがあり、どれもが味わい深かった。それは借り物の知識ではなく、全てが自らの経験に根差したものだったからだろう。

 

 野村さんの薫陶を受けたのはプロ野球の選手たちだけではない。かくいう私も、そのひとりである。

 

<この原稿は2020年3月8日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

 


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