今春、トップリーグのクボタスピアーズに入団するSO岸岡智樹は、全国大学選手権決勝において巧みなゲームコントロールで早稲田大学のアタックをリードした。特にインプレー中のキックは明治大学フィフティーンの混乱を招き、観客を大いに沸かせた。彼の“飛び道具”の答えを知りたくて、1月下旬、杉並区上井草にある早大ラグビー部のクラブハウスを訪ねた。


 1月11日、早大ラグビー部は11年ぶりに"荒ぶる”を響かせた。大学選手権決勝、その舞台は2019年に完成したばかりの新しい国立競技場。新国立のこけら落としはサッカーの天皇杯決勝だったが、ラグビーはこの大学選手権決勝が最初の公式戦となった。収容人数は最大6万人を超えると言われている。
「ラグビーに限らずスポーツ選手にとって、あれほどの人数の前で試合をすることなんてなかなかない。本当にスポーツマンとして幸せな環境でできるうれしさがありました」

 エンジと黒の早大vs.紫紺の明大。大学選手権決勝での早慶戦は23年ぶりである。伝統校同士の対戦とあり、5万7345人の観衆がスタジアムに詰め掛けた。試合は早大が前半9分にSH齋藤直人のPGで先制。12分にNo.8丸尾崇真がトライ。齋藤がコンバージョンキックを成功し、10-0とリードした。

 20分、岸岡は自陣からのパントキックを蹴ったが、直接タッチラインを割ってしまった。さらに3分後のロングキックはインゴールに転がり、相手のドロップアウトとなった。ドロップアウトとは自陣22mからのキックで再開すること。相手にボールを与え、エリアを挽回されてしまう。ここだけを切り取ればミスの連続だ。

 しかし、ここからがすごかった。明大のSO山沢京平が蹴り込んできたボールを自陣でキャッチした岸岡は躊躇なくドロップゴールを狙った。ゴールまで50m以上の距離があったにも関わらず、迷いは一切見られなかった。しかしキックは右に外れ、再びインゴールライン内に転がった。明大のドロップアウトからスタートだ。

 山沢が蹴ったボールが岸岡の手に渡る。岸岡は再び右足を振り抜いた。会場を大いに沸かせたが、今度はゴールに届かず山沢にキャッチされる。紫紺のジャージーの10番はキックを左タッチライン側に蹴り返してきた。ここは陣取り合戦。そして10番同士の蹴り合い、探り合いだ。
 
 “飛び道具”の狙い

 岸岡=ドロップゴール。このイメージが付いたのは2018年11月の早慶戦と言っていいだろう。0-0の前半25分、ハーフウェイラインより手前、ゴールまで約55mのドロップゴールを射抜いたのだ。
「ある種、代名詞になったのかなと。その後、いいタイミングでドラマの『ノーサイド・ゲーム』が放送されましたし、W杯日本大会もあり、ドロップゴールが得点源になるという認識も日本の中でも出てきたただ僕の場合は得点にならなくても試合の流れを掴む選択肢のひとつとしています」

 ドロップゴールという選択は、時間帯やスコアなどの理由もあるが、ルールの盲点を突いたプレー選択でもあった。外したとしてもリスクが少ないからだ。本人によれば、このルールは高校3年時に知ったという。
高校3年時の花園で桐蔭学園の試合を観ていたことがきっかけです。早大で同期となる齋藤が1試合に3、4本ドロップゴールを狙ったんです。すべて外したんですが、“なんでこんなに蹴っていいんだろう?”と疑問だった。そこでルールに詳しい同期がいて、“何回蹴ってもいいんだよ”と教えてもらいました」
 本人の記憶によれば早大進学後、3年時の夏合宿で披露したのが最初だったという。

 25分、タッチライン側に蹴った山沢のキックを早大のFB河瀬諒介がキャッチすると、岸岡へパスを送った。ゴールまでは約70m。エンジと黒の背番号10がこの日の3度目のドロップゴールを狙いかけた時、観衆はどよめいた。だが、実際には ドロップゴールを選択せず、パントキックに切り替えた。
さすがに遠過ぎました。蹴っても良かったのですが、蹴る意味を考えた時にチームの士気が下がる可能性があった。そう考えると蹴ることはマイナスだった。フェイクを入れたのは、“アイツ、何をやるんだ。面白いな”と思わせることができれば観客も味方につけられると考えたんです
 
 岸岡のパントキックは明大が処理にまごついた。実は本人によるとキック自体はミスだったという。「会場を気にし過ぎてキックに集中していなかったかもしれません」。ただ明らかに岸岡がボールを持った際の明大側からのプレッシャーは増していた。時間だけでなく相手の体力を消耗させることにも繋がった。26分のパントキックはタッチライン際でボールが跳ね、明大の選手に当たり、マイボールラインアウトを獲得。直後に岸岡のパスからWTB長田智希のトライが生まれた。面白いほどキレイに抜けた長田のランは、岸岡が招いた明大の混沌と無関係ではなかったのだろう。

 

 後半は明大の反撃に遭った。残り10分で10点差に詰められた時、スタンドから割れんばかりの明治コールが鳴り響いても岸岡は冷静だった。
「20分に17点差まで迫られた時は3分以内に取られるとやばいなと思いました。次の得点までに8分かかりましたから、それほど焦りはありませんでした。次に得点を取ればいいだけかなと。ラグビーは点の取り合いになるスポーツ。いかに連続得点を取り、連続得点をさせないかがカギになる」
 34分にWTB桑山淳生にトライが生まれ、明大を引き離すと勝利を確信した。

 残り約5分――。早大は明大に1トライを返されたものの、最後は45-35と10点差で逃げ切った。耐える時間帯、岸岡は特別な感情に包まれていた。
「“試合が続いてほしいな”と思うことは負けているときはあるんですが、勝っていてもというのは初めてに近かった。身体的にはしんどい部分ももちろんありましたが、精神的には“もっと楕円球を追いかけていたいな”と思っていました」
 試合中は冷静さを失わなかった岸岡だが、優勝が決まると感極まった。「3年分くらい泣いたかもしれません」と本人。仲間と場内を回る時も涙は止まらなかった。それだけ特別な瞬間だったのだろう。「しっかりと時間をかけて、日本一を味わえた」と振り返った。
 
 自分らしさを追求

 早大首脳陣からの岸岡に対する評価はすこぶる高い。中でも彼のラグビーIQの高さは折り紙付きだ。武川正敏コーチは「時間の使い方を理解している。あそこまで深くルールを知っているか否かは人にもよりますが、それをどう使うかまで考えている選手は少ないと思います」と証言する。相良南海夫監督も「自分の中でしっかりゲームデザインし、遂行する力がある。常にいくつかの選択肢を持ちながらプレーしていたと思う。プレーも頭も両方備わった選手はなかなかいない」と称えた。

 その優れたラグビーIQばかりが着目されるが、一方で後藤翔太コーチはこう岸岡を評す。
「キックが飛び、パスが速い。足も速い。細かく話せば良いところはいっぱい出てくると思いますが、そもそもそういう能力が人と違う次元にある」
 後藤コーチは岸岡の今後に期待を寄せる。「まだのびしろはある。次のステージで、高い能力を発揮してくれることを僕は楽しみにしています」

 岸岡は大学卒業後のステージは、ラグビーから離れることも選択肢にあったというが、トップリーグを選んだ。1月20日にはクボタの入団が発表された。
「チーム目標を自分の目標に置き換え、頑張ることが第一だと思っています」
 大学のラグビー部を引退し、現在はニュージーランドに武者修行中だ。日々、発見や学びがあるようで、それをSNSでファンに伝えている。自らのプレーや考えを言語化できるのも彼の強みだろう。

 岸岡に理想とする選手はいない。
「僕のテーマは自分らしさ。理想とする選手がいないと答えるのも、誰かの真似をしていたら超えられないと思うからです。自分自身である理由を探している。その選手にしかない個性で僕は勝負していきたいところもあります。良い選手の良いところを掛け算して僕の新たなスキルとして身に着けることができたらいいなと思っています」
 自分らしさとは――。岸岡は己の武器を模索中だ。冷静でスタンダードな司令塔に見えて時に大胆なプレーをする。彼なりの解答を聞いてみたくなる選手である。


岸岡智樹(きしおか・ともき)プロフィール>
1997年9月22日、大阪府枚方市生まれ。小学5年でラグビーを始める。枚方ラグビースクール-蹉跎中学-東海大学付属仰星高校-早稲田大学。東海大仰星時代は3年時に高校3冠(選抜、7人制、花園)を達成した。16年、早稲田大学に進学。1年時から主力としてプレーした。3年時に対抗戦優勝。4年時には全国大学選手権の11季ぶりの優勝に貢献した。トップリーグのクボタスピアーズ入りが決まっている。身長173cm、体重84kg。

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