(写真:CHINTAIに就職し、関東を拠点に活動している小林諭果 撮影 植村正子)

 ノルディックスキー・ジャンプで昨シーズンのW杯年間王者に輝いた小林陵侑は、2年後の北京五輪で金メダル獲得を期待されている。23歳の陵侑を始め、小林きょうだいは全員がジャンプ選手で、スキージャンプ一家として知られている。28歳の長男・潤志郎は二男・陵侑とともに平昌五輪に出場。18歳の三男・龍尚は同五輪でテストジャンパーを務めた。25歳の長女・諭果もユニバーシアードのメダリストである。岩手県で生まれ育ち、空に魅せられた4きょうだい。諭果から見た兄・潤志郎、弟・陵侑と龍尚とは――。

 

――新型コロナウイルス感染拡大の影響で、全国各地の様々なスポーツイベントが中止・延期を余儀なくされています。

小林諭果: 出場予定だった3月の国内大会は全て中止になりました。これで今シーズンの大会は終了したので、今は来シーズンに向けたトレーニングを行っています。

 

――現在、取り組んでいる課題は?

小林: 昨シーズンから跳躍力を強化しています。ウエイトトレーニングで筋力も増やしていきつつ、空を飛ぶ競技なので身体が重くなり過ぎてもいけない。そのあたりのバランスを保ちながら鍛えていっているところです。

 

――2017年、CHINTAIに入社後、トリノ五輪代表・一戸剛コーチの指導を受けています。

小林: 早稲田大学のスキー部時代から、いろいろなOBの方に教えていただく機会がありました。一戸さんはそのなかのひとりで、在学中の15年に初めて出場したユニバーシアードにもコーチとして帯同してくれました。その縁もあり、大学卒業後もコーチをお願いし、引き受けてもらいました。

 

――大学時代の指導が肌に合っていたと?

小林: はい。大学時代は専属のコーチがいませんでした。社会人になって危機感を持ち、“何かを変えなければ”との思いもあったんです。もちろんフィーリングが合ったのが理由のひとつ。また私が東京の会社に勤めていることもあり、一戸さんが千葉に住んでいることも大きかった。今は平日、千葉に通ってトレーニングを見ていただいています。実戦練習は週末、ジャンプ台のある長野で積んでいます。

 

――長野、札幌を拠点にする選手も多い中、なぜ関東で?

小林: 東京での勤務を決めたのも、「身近に選手がいると応援し甲斐があるよね」という話を聞いたのが理由のひとつです。私は大学も関東だったので、“関東でもできる”ことを証明したいと思っています。

 

「陵侑はなんでもできる」

 

――スキーのジャンプを始めたきっかけは?

小林: 競技はお兄ちゃんと陵侑が先に始めていました。私は2人のトレーニングに家族と一緒に付いていったけど、正直、“絶対やりたくない”と思っていた。高い所が苦手でしたから。でも周りからの「女子は人数が少ないから、すぐに表彰台だぞ」という甘い言葉に誘われました。特に父が熱心に勧めてきて、小学4年生から始めたんです。

 

――競技を始めるとすぐに夢中になっていった?

小林: いえ、最初は全然うまくいなかったんです。怖くてスタート台から飛び出すことすらできなかった。よく転ぶし、怖くて泣きながら飛んでいましたね。でも大会に出たら表彰台に上がることができた。それがうれしくて続けたんだと思います。

 

――4人きょうだい全員がスキージャンパー。いずれも代表レベルというのは珍しいケースだと思います。まず3歳上の兄・潤志郎選手はどんな存在でしょうか?

小林: お兄ちゃんは背中で見せるというか、私も小さい頃はよく真似をしていました。お兄ちゃんが始めなかったら、私も弟たちもジャンプをしていなかったと思います。性格的には大人しい。落ち込んでいる姿も見たことがありませんし、常に上がり過ぎず、下がり過ぎずという感じで冷静な印象があります。

 

――潤志郎選手とは15年のユニバーシアードで、混合団体のメンバーとして金メダルを獲得しました。

小林: 兄が大学時代から世界で戦っているのに、私はなかなか良い成績を残せていなかった。この大会がお兄ちゃんと出られる最後のチャンスでした。個人戦のみならず団体も一緒に出ることができ、さらに優勝もできた。とてもうれしかったです。

 

――2歳下の二男・陵侑選手は昨シーズンのW杯総合チャンピオンになりました。

小林: 昨シーズンの総合優勝は私も驚きました。ただ陵侑は初出場したW杯で1ケタ順位(7位)に入るなど、ちょっと他とは違うのかなと思います。怖いもの知らずで、いい意味で自由人。オンオフがはっきりしていて、やる時はやる。私にはないものを持っているので、“すごいな”と尊敬しています。

 

――昔から運動センスはずば抜けていましたか?

小林: そうですね。小学5年の時に小学生高学年から中学生を対象にした岩手県主催の「いわてスーパーキッズ」というアスリート育成事業の1期生に選ばれていました。そこでレスリングやクライミングをいろいろな競技を経験していました。どの競技もソツなくこなし、そのころから“陵侑はなんでもできるな”と思って見ていました。

 

 4きょうだいで北京へ

 

(写真:4きょうだいの末っ子・龍尚はこの春、兄・陵侑と同じ土屋ホームへ進む ⓒBS11)

――7歳下の三男・龍尚選手は「兄を超えるのは自分だ」と強気な姿勢で知られています。

小林: ビッグマウスですね。かなりのポジティブ思考で実行できなくても“次がある”と切り替えができる。お兄ちゃんと陵侑と比べると、どちらかというと陵侑に似ているような気がします。柔軟な考え方ができていると思いますし、兄2人の良い部分を見習おうとしている姿勢は感じます。

 

――運動能力という点でも陵侑選手に似ていますか?

小林: そうだと思います。SNSでハードルジャンプの動画を載せているのですが、跳躍力もすごくある。運動神経も良いですね。

 

――2年前の平昌五輪は潤志郎選手と陵侑選手が出場。龍尚選手はテストジャンパーを務めました。

小林: 私も家族と現地へ応援に行きました。女子の試合も観させていただき、“まだ応援する側。あと4年かけてそこに立てるように頑張りたい”と思いました。悔しいという気持ちもありましたが、まだ私とトップとの差は大きかった。一方、男子の試合は兄弟が出ているので、“頑張ってほしい”との思いよりも“とりあえず無事に飛んでほしい”と、親心のような感じで観ていましたね。

 

――潤志郎選手は平昌五輪で個人ノーマルヒル31位、同ラージヒルは24位。陵侑選手は個人ノーマルヒル7位入賞、同ラージヒル10位といずれも日本人トップの成績で、6位入賞を果たした団体戦のメンバーにも選ばれました。初の五輪出場を果たした2人に加え、龍尚選手もテストジャンパーとはいえ、現地の雰囲気を肌で感じられたことは貴重な経験だったのでは?

小林: ええ。龍尚が世界と戦う2人の姿を間近で観ることができたのは非常に良い機会でした。世界のトップ選手と一緒に飛ぶこともなかなかできることはありません。後の試合にも絶対繋がっていると思います。

 

――2年後には北京五輪が控え、4きょうだいでの出場も期待されます。

小林: 兄と弟たちが活躍する姿は刺激になっています。私が北京五輪に出場するためには、まずは強化指定選手に戻らないといけません。今は来シーズンの世界選手権出場を目標にしています。

 

小林諭果(こばやし・ゆか)プロフィール>

1994年5月16日、岩手県八幡平市生まれ。小学4年でスキーのジャンプ競技を始める。岩手・盛岡中央高校から早稲田大学に進学。15年、第27回冬季ユニバーシアードで個人ノーマルヒル、女子団体で銀メダルを手にし、混合団体で金メダルを獲得した。17年の第28回ユニバーシアードでは女子団体金、個人ノーマルヒル銀メダル、混合団体で銅メダルを獲得。同年春にCHINTAIに入社、CHINTAIスキークラブ所属。19年、札幌市長杯大倉山サマージャンプで初優勝した。身長168cm。好きな言葉は「YOLO」(人生は一度きり)。

 

 BS11のスポーツドキュメンタリー番組『キラボシ!』は、毎週火曜23時に放送中です。3月17日(火)は小林4きょうだいの末っ子、龍尚選手を特集します。番組を見逃した方もオンデマンド配信(放送後9週間限定)でチェックできます。ぜひご視聴ください!


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