1964年の東京パラリンピックをボランティアとして支えた元通訳たちでつくる「64語学奉仕団のレガシーを伝える会」の吉田紗栄子代表理事は、大学院修了後、建築家となり、バリアフリー施設や住宅を数多く手がけてきた。いわばバリアフリー建築のパイオニア的存在である。

 

 バリアフリー新法(正式名称は「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」)が施行されたのは2006年12月。学校や病院、ホテルや映画館を対象に出入口や廊下の幅、車いす利用者用トイレの数などが細かく規定されている。

 

 近年は高齢化に伴い、マンションや住宅においてもバリアフリー化が進み、室内の段差解消や手すりの取り付けなどはマストといっていい状況だ。

 

 しかし、それだけでは足りない。吉田さんから驚くベきデータが示された。この国は03年を境に交通事故による死者の数を家庭内事故による死者の数が上回っていたのだ。寡聞にして知らなかった。その差は開く一方である。<特にお風呂場での溺死が多く、窒息、転倒や転落などが続きます。家庭内事故で亡くなる方のじつに8割が65歳以上。「道路より家の方が危ない」という現状です>(『人生90年時代 住まいづくりの新ルール』より)

 

 吉田さんによると、家庭内事故の大きな理由のひとつが玄関とトイレ、あるいは風呂場との「温度差」である。高齢者は急激な温度の変化により脳梗塞や心筋梗塞を引き起こすことが多く、こうしたヒートショックが原因の死者は年間約2万人に上ると見られている。

 

 吉田さんは言う。「バリアフリーって聞くと皆さん段差を想像なさるでしょうが温度差は、ある意味、もっと危険なんです。たとえば玄関に入ると、すぐにトイレがあるような家。夜中、暖かい寝室から冷たいトイレに向かう行為は大変なリスクを伴います。お風呂の脱衣所もそうです。小さい暖房でもいいんです。お風呂に入る前に暖めておくことが大事です」

 

 2020東京パラリンピック開催が、高齢化社会の進む日本の住宅事情を見直すきっかけになればいい、と吉田さんは考えている。「人間って不思議な生き物で、自分だけはいつまでも若くいられると思っているんです。そんなことありませんのにね…」。後期高齢者にして、彼女は今も斯界のトップランナーである。

 

<この原稿は20年3月18日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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