「もし1000万人以上の人々が次の数十年で亡くなるような災害があるとすれば、それは戦争というよりは、むしろ感染性の高いウイルスが原因の可能性が大いにある。ミサイルではなく微生物なのだ」。ビル・ゲイツが熱弁を振るったのは今から5年前のことだ。続けて、こうも。「私たちは核の抑制に巨額の費用をつぎ込んできたが、疫病の抑制システムの創出については、ほとんど何もやってこなかった」

 

 なるほどな、と納得する半面、当時はおとぎばなしのようにも聞こえた。ゲイツは新型コロナウイルスの出現と現在の世界の混乱を予想していたのだろうか。「時間は味方してくれない。今すぐ(疫病)対策に取り組まねば」

 

 東京五輪が未知の「微生物」に揺さぶられている。延期はもはや既成事実として年内、1年、2年の3つの選択肢がある。夜になって1年延期が決まった。それまでに世界からコロナが消えているのか不安は残る。「クリアになってゴールが具体的になった」と小池都知事は語ったが、ゴールポストが後ろに下がることはないのか。再延期のカードは残しているのか、捨てたのか。

 

 一部にある縮小案にも同意しかねる。先週、「(IOCは)感染が広がっていない国や地域のみでの開催検討も視野に」との報道が流れたが、これでは五輪に対する連帯が失われかねない。

 

 言うまでもなく五輪マークの色は左から青、黄、黒、緑、赤で、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカ、オセアニアの五大陸の団結や友好を表している。その意味で、G7首脳による緊急電話会議後に安倍晋三首相が明言した「完全な形で実現」は、ひとつの大陸も、ひとつの国も欠けることのない五輪、と私は理解した。それこそが「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証」ではないか。

 

 加えていえば五輪憲章は「いかなる差別」をも禁じている。差別の中には「感染者」も含まれると私は考える。感染症対策は重要だが、パンデミックが終息する前にスケジュール優先で開催した挙句、空港で感染者を隔離するような事態が相次げば、それはもはや、「平和の祭典」ではない。

 

 マネーファーストと揶揄されながらも私がオリンピズムを支持しているのは、タテマエであっても憲章には崇高な理念が謳われているからだ。茨の道の向こうには希望が待っていてほしい。

 

<この原稿は20年3月25日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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