あの日のことは覚えている。

 

 今から6年前。2014年3月8日、味の素スタジアムに志村けんさんがやってきた。FC東京のホーム開幕戦(対ヴァンフォーレ甲府)の特別ゲストとして招かれ、「変なおじさん」があらわれた。女性アナウンサーに抱きついたところに警備員に扮したダチョウ倶楽部の肥後克広、お笑いタレントのゆってぃに止められて「♪変なおーじさん」とクネクネと踊り出す。スタジアムから笑いと手拍子が起こり、決めゼリフとエールを送って足早に消えた。そのあと「変なおじさん」の格好のままFC東京のユニフォームを着て、花束贈呈にも登場している。

 

 40代後半の筆者はドリフターズで大笑いしてきた世代。志村さんが1つギャグをすれば、笑いのスイッチが自動的に入るようになっている。このときも試合前にひと笑いさせていただいた。記者席から眺めた「変なおじさんダンス」は本当に最高だった。

 

 そんな僕たちの笑いのヒーローが、新型コロナウイルスによる肺炎によって死去した。70歳だった。

 

 志村さんは東京・東村山市出身。FC東京も「心よりご冥福をお祈りいたします」とのコメントを発表している。

 

 元々はサッカー少年だったそうだ。久留米高校(現在は東久留米総合高校)サッカー部第1期生で、ポジションはゴールキーパー。部の後輩にあたる川崎フロンターレの中村憲剛は自身のブログでこのように記している。

 

<直接の面識はありませんでしたが、取材やプライベートで久留米高校の話をする折には志村さんがサッカー部の先輩であるという話をしてきました。

 だからというわけではなく、先輩後輩の間柄でなかったとしても入院されたというニュースを見たときは国民の1人として心の底から回復を祈りました。なので速報を聞いたときにはショックを隠しきれませんでした。直接知っているわけではないけれど、国民の誰もが知っているスターの訃報。

 色んな人が色んなことを考え、思ったと思います>

 

 筆者も中村から志村さんの話を聞いたことがある。お笑い好きの彼にとって「1度も会ったことはないけど」自慢の大先輩であった。

 

 新型コロナウイルスの影響によるJリーグの中断が続いている。J1はゴールデンウイーク明けの5月9日再開を目指しているが、感染の拡大が止まらない状況であれば再延期という判断になるだろう。

 

 いつ再開できるかどうか、まったく見通しが立たない状況ではある。だが再開となったら、サッカー少年だった志村さんをぜひ追悼してほしい。

 

 2年前、西城秀樹さんが天国に旅立った。毎年のように川崎フロンターレのハーフタイムショーに登場して「YOUNG MAN」を歌い上げていた。2度、脳梗塞を発症しながらも西城さんは元気な姿をファン、サポーターに見せてきた。

 

 西城さんの死を悼み、中村はゴールパフォーマンスで「YMCA」を繰り出して喪章を天に掲げた。スタンドには西城さんの似顔絵が入った横断幕が掲げられていた。スタジアム全体が一体となっての追悼であった。

 

 味の素スタジアムにやってきた志村けんさんは、あのときサッカー少年だったことを思い出したに違いない。

 

 志村さんとサッカーとのつながり。これからもそれを忘れないために。

 

 追悼のゴールパフォーマンスはいっぱいある。「変なおじさん」でも「アイーン」でも「ヒゲダンス」でもいい。

 

 FC東京はもちろん、高校の後輩にあたる中村にもぜひ考えてもらいたい。

 

 志村さんの秀逸ギャグを、ゴールパフォーマンスで。

 

 Jリーグが再開できる状況になってスタジアムに活力が戻れば、きっと天国の志村さんもそのことを喜んでくれるはずだ。


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