古代五輪が全知全能を司るゼウス神に捧げる宗教的儀式だったとしても、それはいにしえの話だ。よもやIOCがヘレニズムの加持祈祷を新型コロナウイルスとの闘いに結びつける愚を犯すことはあるまいが、このところ国際世論との乖離が目立つだけに、少々心配になる。

 

 金子達仁氏のIOCに対する不信表明の一文は寸鉄人を刺すものだった。<全世界をコロナ禍が覆う中、世界中のスポーツ競技団体が四苦八苦している。感染者、死者が急増している段階で、五輪の開催時期を発表したIOCのやり方は、ひょっとすると世界中の五輪離れを引き起こす可能性すらある。喪中の家に運動会の日程を高らかに伝えにいったかのごとき無神経を、多くの人は忘れないだろうからだ。>(本紙4月2日付・『春夏シュート』)

 

 喪中の家に運動会の日程を高らかに伝えにいったかのごとき無神経とは、言い得て妙だ。シオでも撒いておけ、と言いたくなる。

 

「犠牲と妥協が必要だ」。IOCトーマス・バッハ会長は東京五輪・パラリンピックの延期決定後、そう述べた。そのとおりだ。この非常時、「犠牲」と「妥協」が一番求められているのは、誰あろう当のIOC自身だ。

 

 IOCが東京都、JOCの三者で締結した開催都市契約は、一言で言えば不平等条約である。IOCにはあらゆる権利が保証され、開催都市には、ひたすら義務が求められている。

 

 たとえば「契約の解除」の条項には、こうある。<IOCは、以下のいずれかに該当する場合、本契約を解除して、開催都市における本大会を中止する権利を有する>。東京都や組織委、日本政府が一番恐れたのが、この中止カードだった。組織委の森喜朗会長にこの点を質すと、「言いたいことは山のようにあるが、あまり(IOCを)刺激してもいけない」と政治的な配慮をにじませた。朝日新聞(3日付)のインタビューでは<大会が終わったら一声上げてやろうと思っている。このままだと五輪はダメになっちゃうぞ、って>と本音を吐露していた。

 

 1年延期による追加費用は「最低でも3000億円」(組織委関係者)と見積もられている。一部に5000億円を超えるとの見方もある。負担を分かち合うことでIOCには「犠牲と妥協」の精神の手本を示してもらいたい。それこそがメッキの剥がれかかったオリンピズムの神話性を担保する唯一の道であると考える。

 

<この原稿は20年4月8日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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