「女とは?」「宝よ」「男とは?」「子供よ」。「しからば問う、裕次郎」。和尚に扮した宇野重吉が、禅問答の最後、逆に石原裕次郎に問いかける。「喜びとは?」「飲むことよ」。1970年代、一世を風靡した宝酒造の日本酒「松竹梅」のCMの名フレーズである。ご記憶の向きも多かろう。

 

 2年前に他界した「鉄人」こと衣笠祥雄さんも禅問答の名手だった。「指導とは?」「待つこと(よ)」「基本とは?」「戻る場所を持つこと(よ)」。衣笠さんにとっての和尚はさる9日、93歳で逝った関根潤三さんだった。

 

 プロ入り4年目の1968年に21本塁打を記録し、長距離砲の片鱗を示した衣笠さんだが、その後は伸び悩んでいた。70年、広島の打撃コーチに就任したのが42歳の関根さんである。

 

 馬力はあるが確実性に欠ける衣笠さんを、どう育てるか。関根さんが示した方針は「正しい鋳型にはめる」ことだった。

 

 生前、関根さんはこう語っていた。「自己流では、ある程度のところまではいっても限界がある。大事なのは基礎。衣笠は自己流でやってきたため、いいところと悪いところがはっきりしていた。だから“鉄は熱いうちに打て”とばかりに基礎をしっかり叩き込む必要があったんです」

 

 とりわけ関根さんが重視したのが「アドレス」だった。「要するに構えだね。スタートさえちゃんとしていれば、あとは好きに打てばいい。仮にスイングの途中で変なクセが出てきても、そこを修正すればいいんですから」

 

 関根塾は試合後、着替えをすませ、食事をとってから開講となった。ある日のことだ。衣笠さんは夜の街に繰り出し、寮に帰ったときは午前2時を回っていた。当然、門限破りだ。千鳥足の衣笠さんの前にスッと黒い影が差した。関根さんである。バットを一本握り締めていた。

 

「さぁ、始めようか」。涼しい顔で、ポツリと一言。当時を振り返り、衣笠さんは語ったものだ。「僕ら体育会系の人間は怒られることには慣れている。しかし、怒られないことには慣れていない。怒られるかと思ったら、“さぁ、始めようか”ですから。何て恐ろしい世界に入ったんだろう……。ゾッとしましたよ。プロのたしなみとは何か。それを教えてくれたのが関根さんなんです」。鬼手仏心。関根さんの指導の根底には、常にこの精神があった。合掌。

 

<この原稿は20年4月15日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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