皆さん、白寿の岸川でございます。いつも白球徒然~HAKUJUベースボールスペース~のコラムをご覧いただきありがとうございます。年が明けすでに3カ月が経ちました。世の中は今、新型コロナウイルスの影響により世界中の経済が混乱し、様々な対応策が練られています。学校は休校になり、会社は時差出勤や在宅勤務。さまざまなイベントも影響を受け、春の選抜甲子園や多くの全国大会などの中止、そしてプロ野球を始めとしたプロスポーツが延期されています。昨年盛り上がったラグビーはトップリーグのシーズンが打ち切りになりました。さらに東京オリンピック/パラリンピックも1年延期です。


 このような事態を誰が想像したでしょう。世界中がここまで影響を受けるとは思ってもみませんでした。日本も様々な対応策をとっていますが、効果が出るまでには時間がかかりそうです。

 

 私には中学3年生の娘がおりますが、卒業式の参加は親族1人。時間も短縮され最後のホームルームも先生と生徒のみ。中学最後の晴れ舞台を見たかったのですがそこは仕方ありませんね。高校の入学式はどうなるのか気が気ではありません。

 

 さて、コラム本題に入りましょう。前回は私が初めて巨人で打撃投手として臨んだキャンプについて書きました。今回はその続きです。

 

 打撃投手1年生の私は、裏方として現役時代とはまた違うプレッシャーを感じ、不安を覚えてキャンプを終了しました。

 

 オープン戦期間の3月中旬まで巨人は関東以外で試合を行いますが、入ったばかりの私はチームに帯同せずにファーム(2軍)に合流しました。

 

 当然、私よりも年下の選手が多く、観客も少ないのでプレッシャーもかからず気は楽だな、と思っていました。でも今度は1軍キャンプのときとは全く違うことで悩むことになりました。

 

 ファームは1軍と違って人数が少なく、裏方は数名しかいません。打撃投手も少ないのでコーチも投げたりしますが、そのときに私は初めての体験をします。

 

 バッティング練習に向けキャッチボールを済ませ、いざ投げようと思ったらキャッチャーがブルペンに行ってしまいました。何が言いたいかと言えば、キャッチャーがいない状態でバッターに投げることになったのです。つまり狙う目標がないのです。

 

 私の野球人生の中でキャッチャーなしで投げた経験はありません。何となくピッチングを始めましたが、違和感しかなく、ここから泥沼へとハマっていきます。狙う的がないのでストライクが入らなくなり、バッティングケージの中にはかなりのボールが転がっていました。

 

 目標となるようにタオルを結びつけたり、試行錯誤をしながら何とか形になっていきますが、さらに落とし穴がありました。

 

 ある日、左打者にインコースを要求され投げた瞬間にすっぽ抜け、右肩をかすめる程度でしたが当ててしまいました。そこからです。今度はぶつけないようにと投げるのですがボールが抜け、ベースの手前でワンバウンドしたりとストライクが全然入らなくなってしまいました。投げ終わったケージ内には大量のボールが転がり、今でいうイップスというやつです。

 

 振り返れば、ストライクを欲しがり手先で細工をしていたため、頭が突っ込み投球バランスを崩したのが原因ですが、当時はまだそこまで考える余裕もありません。私は先輩方の意見を聞いたり試行錯誤しましたが、全然上手くいきません。というか、聞いた意見は参考になりませんでした。

 

 先輩方は「ストライクがとれる」というできる側の意見で話すのですが、それができない私は途方にくれます。

 

 その後、オープン戦期間も終わり1軍に合流してキャッチャーを相手に投げれば元に戻ると思っていましたが、一度崩したフォームは修正できず、すっかり自信を無くした私はストライクも取れず、ファームに落とされたのでした。

 

 このままだと確実に終わってしまう……。そう思った私は、ここからどうしたら打撃投手としてやっていけるのかを考えていきました。前回に書いた「ストライクを投げればいい」を私自身も安易に考えていたのです。

 

 そこから私は打撃投手という職業に対して真剣に向き合いました。幸い右打者には投げられていましたので、試合前の練習は右打者に投げていました。試合中は他の裏方の方に手伝ってもらい、裏方さん相手に投げます。試合終了後には個別練習の選手に投げ、家に帰ればシャドウピッチングをしました。

 

 その結果、現役時代の投球フォームとは全く違うフォームになったもののストライクがきちんととれる一人前の打撃投手になりました。ストライクを投げる確率が上がり、ボールの質にもこだわり、選手やコーチに認められ、その後10年以上もの間、チームの主力選手に投げる裏方になっていくのです。

 

 このときの経験で私自身、何となくではなくその明確な目標に向かう過程や考え方などを学びました。打撃投手を真剣にやっていなかったら気づかなかったことです。

 

 こうした取り組みをこれからの仕事に繋げていきたいと思います。ただ、この思考が現役時代にあれば、また違う未来だったのかもしれませんが(笑)。それではまた2カ月後にお会いしましょう。皆さん、お体にご自愛ください。

 

<岸川登俊(きしかわ・たかとし)プロフィール>
1970年1月30日、東京都生まれ。安田学園高(東京)から東京ガスを経て、95年、ドラフト6位で千葉ロッテに入団。新人ながら30試合に登板するなどサウスポーのセットアッパーとして期待されるも結果を残せず、中日(98~99年)、オリックス(00~01年)とトレードで渡り歩き、01年オフに戦力外通告を受け、現役を引退した。引退後は打撃投手として巨人に入団。以後、17年まで巨人に在籍し、小久保裕紀、高橋由伸、村田修一、阿部慎之助らの練習パートナーを長く務めた。17年秋、定年退職により退団。18年10月、白寿生科学研究所へ入社し、現職は管理本部総務部人材開拓課所属。プロ野球選手をはじめ多くの元アスリートのセカンドキャリアや体育会系学生の就職活動を支援する。


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