あれからもう20年も経とうとしているのか。

 とても不思議な気持ちになった。

 

 3月20日、東京・巣鴨駅前にある闘道館で『ヒクソン戦、そして20年』と題して開催された船木誠勝トークショーに対論者として出演した時のことである。

 

 東京ドームで、ヒクソン・グレイシーvs.船木誠勝が行われたのは、2000年5月26日。

 あの歴史的一戦から間もなく20年が経過するわけだが、その実感がない。せいぜい7、8年前のことに思える。トークショーで司会を務めたスポーツライターの布施鋼治さんにそう話すと、「同じだね」と答えてくれた。

 

 最近、時の流れがとても早いと感じる。

 年齢を重ねて50歳を過ぎたせいだろうか。それだけでもないだろう。ここ20、30年、自分がやってきたこと、感じてきたことを振り返る時間を十分に持てずに生きてきたからだと思う。

 

 格闘技に限らず数多くのスポーツイベントが行われ、それを観てきた。会場へ取材に行き、あるいは選手のインタビューを行って原稿を書く。また雑誌(ムック)や書籍を編み、出演依頼を受ければテレビ局のスタジオへ向かう。そんな生活を途切れることなく続けてきた。

 

 一つの仕事が終わった後、すぐに次の仕事に取りかからねばならない。仕事が趣味なようなものだから、それを苦痛に感じることはないし、幸いにも極度に体調を崩すこともなかった。常に目の前にある課題と対峙し続けての30余年。

 

 でも、そのやり方を、いま少しだけ反省している。それは、自分がやってきたこと、感じてきたことを振り返る時間を持たずにきてしまったことに対して――。

 

 新たな発見

 

 だから今月から、振り返る時間を持つことにした。

 手始めに、自分がもっとも熱くなっていたはずの1970、80年代のプロレスを改めて観ている。これは私が、ずっとやりたかったことでもあった。

 

 CSテレ朝チャンネルの『ワールドプロレスリングクラシック』、日テレジータスの『プロレスクラシック』。この番組を録画予約し続けていて、かなりの本数が未再生のままになっている。

 

 スタン・ハンセン戦、タイガー・ジェット・シン戦、ボブ・バックランド戦、異種格闘技戦など新日本プロレスのリングで繰り広げられたアントニオ猪木の名勝負の数々。テリーとドリーのザ・ファンクス、アブドーラ・ザ・ブッチャーとザ・シークの凶悪コンビ、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田らが登場する全日本プロレスの『チャンピオンカーニバル』『最強タッグ決定リーグ戦』などなど。

 

 ディスクをセットし、再生すると、すぐに画面に引き込まれる。いまのプロレスからは感じることができない、「昭和の熱さ」がよみがえるからだ。

 思い出すだけではなく、そこには新たな発見もある。人は瞬間瞬間の「点」だけで生きているのではない。「点」を重ね合わせた「線」で生きていることを、いま実感している。

 

 70年、80年代のプロレスを観終えたら、93年11月、米コロラド州デンバーで開催された『第1回UFC』のDVDを観直すつもりだ。

 

 コロナウイルス感染の拡大が、いま世界的な大問題となっている。スポーツイベントは、ほとんど開催されておらず、「不要不急の外出は控えるように」と日々、アナウンスされる。

 一刻も早いパンデミックの終息を世界中の誰もが願っている。

 

 ならば、ここはできる限り引きこもろう。そして、部屋で過去に熱く観たプロレス、格闘技の試合映像と向き合う時間を持とう。

 

 そこには、過去を懐かしむだけではなく、その先の人生を豊かにしてくれ新たな発見があるはずだから――。

 

近藤隆夫(こんどう・たかお)

1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実 ~すべては敬愛するエリオのために~』(文春文庫PLUS)『情熱のサイドスロー ~小林繁物語~』(竹書房)『キミはもっと速く走れる!』『ジャッキー・ロビンソン ~人種差別をのりこえたメジャーリーガー~』『キミも速く走れる!―ヒミツの特訓』(いずれも汐文社)ほか多数。最新刊は『プロレスが死んだ日。』(集英社インターナショナル)。

連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)


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