先日、大学駅伝部の監督さんにお話をうかがう機会があった。選手たちのモチベーションが下がり始めているという。

 

「学生にとっては箱根駅伝と同じぐらい重要な5月の関東インカレは中止になってしまいましたし……。どこの大学も練習ができていませんから、箱根のタイムにしても、来年は今年より落ちる可能性もあると思います」

 

 そりゃ気の毒に……と思ったところでハッした。全体的なタイムは落ちるかもしれないが、それでも、というかおそらく、来年も箱根駅伝は行われる……はずだ。5月の関東インカレがなくなってガックリきている学生諸君も、箱根まで中止になるとは考えていまい。

 

 だが、大学4年生のサッカー選手は? 野球選手は? 大学生に限った話ではない。甲子園を目指す、あるいは選手権出場を目指す高校3年生は?

 

 彼らの晴れ舞台、檜舞台が無事に開催されるという保証は、いまのところ、まったくない。

 

 数週間前、わたしはこのコラムで「夏の甲子園にセンバツ出場校も参加させて史上最大の大会に」と書いた記憶があるが、残念ながら、史上最大どころか最悪の意味での「史上初」がチラつき始めている。

 

 仮に夏に開催される様々な全国大会が中止の憂き目を免れたとしても、地域によって早い段階から練習再開に踏み切れたところ、そうでないところの格差が出てくる。格差が生じることを恐れて、早すぎる再開に踏み切る学校が出てくるのも怖い。そう考えると……現時点での気持ちとしては、あまり楽観的な未来は予想できない。

 

 それでも、コロナ禍が終息しようがしまいが、学生は卒業の時を迎える。中には、プロに進んで競技を続ける者もいるだろう。

 

 新しい物が入ってくるということは、誰かがチームを追われるということでもある。プロになれるかどうか、それを見てもらえる機会が失われる学生にとって現在の状況は悪夢だろうが、いわゆる底辺のプロ、契約か解雇がギリギリのところにいる選手にとって、プロに残るためのアピールができない状況は、相当に辛い。自分の選手寿命を示す砂時計の砂が落ちていくのを、ただ見守るしかないのだから――。

 

 想像しただけで冷たいものが込み上げてくる。

「これは戦争だ」という言葉が、日本のみならず世界各地から聞こえてきている。本当の戦争を知らないわたしのような人間が、したり顔で同じ言葉を使うことは避けたいが、それでも、もし戦争だというのであれば、無傷の勝利、死者を出さずにすむ勝利などないということになる。さらにいうなら、全員を助ける策などありえない、ということも。

 

 だが、傷を浅くする方法はある。回復を早くする方法もきっとある。そして、それを考えるのは「誰か」ではない。

 

 札幌では、選手たちが給与の一部を自主返納することを決めたという。他のチームはどうだ? チームのために、仲間のために、自分のために、何か考えているか? 考えていなかったら……これからでもいい、考えよう!

 

<この原稿は20年4月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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