昔の人は太陽が地球の周りを回っていると信じていた――という話と同列に捉えていた。戦争中は疎開先で地元の子供たちにいじめられたという話や、被爆者が差別を受けたといいう話。自分とは関係のない昔の話。迷信がはびこり、民度が低かった時代の話だと思っていた。

 

 進化し、進歩した現代ではありえない話だと。

 

 だからきっと、後の日本人は思うのだろう。令和2年の日本では、地方ナンバーをつけたクルマが嫌がらせを受けたとか、宅配便のドライバーが「コロナを運ぶな」と言われたという話を聞いて。

 

 昔の人って、バカだなと。

 

 残念ながら、未来の人々からすれば、わたしもあなたもバカの一人。ただ、疎開者をいじめ、被爆者を差別した時代には、焼け野原から日本を立ち直らせる人たちもいた。昔も、今も、未来も、どの時代にもバカはいるし、そうでない人もいる。とどのつまり、人類は思っていたほど進化も進歩もしないということか。

 

 ただ、変化はする。

 

 高校生のつぶやきがきっかけとなったか、ここにきて学校の9月新学期説が急速に勢いを増している。一番の当事者である学生の支持が非常に高いことを考えると、明治以来の学校制度に大改革がもたらされる可能性が出てきた。

 

 もし実現したら……良くも悪くいままでとは違う日本人が生まれる。3月、桜と聞いただけで涙腺が緩む世代は、少しずつ、しかし確実に減っていく。日本人特有の季節感も、いままでとは違ってくるかもしれない。

 

 そして何より、学校が変わればスポーツも変わる。

 

 真っ先に手をつけなければならないのは、スケジュールの調整だろう。そのまま開催するのか。はたまた、時期の変更か。夏の甲子園は? 春の選抜は? バスケのウインターカップや、ラグビー、サッカーの高校選手権は? それぞれ、季節の風物詩としても親しまれてきただけに、時期を変えるにしろしないにしろ、賛否両論は巻き起こる。

 

 プロスポーツとて無縁ではない。特に、以前から秋冬制への移行話が出たり消えたりを繰り返してきたJリーグにとっては、新学期9月開始説は大いに気になるところだろう。

 

 率直にいって日本の7月、8月はサッカーをする上で最高の季節とは言い難い。ただ、反対する北国のクラブの気持ちもわかる。グラウンドに積もる雪への対策。観客の寒さ対策。スタジアムまでの動線確保。どれも、クラブだけで対応するには手に余る。そして、いまの日本では、それでもクラブが対応するしかない。

 

 先週も書いたが、今回のコロナ禍に対するJリーグの対応は素晴らしいの一言に尽きる。今週も、過密日程を考慮した上での交代枠5人案の協議や、三菱UFJ銀行と200億円程度の融資枠設定で合意したというニュースがあった。

 

 ただ、学校新学期9月開始説に接してみると、前提を変えればもっと新たな対策が組めるのでは、という気がしてきた。今季はともかく、来季の日程は動かせないという前提に、わたしたちは縛られすぎてはいなかったか。

 

 未曾有にして前代未聞のこの事態。ならば、頭も柔らかくしてみますか。

 

<この原稿は20年4月30日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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