20年ほど前、テレビの仕事でストイコビッチに長期間密着させてもらったことがある。

 

 ユーゴスラビア代表の韓国遠征や00年の欧州選手権に同行し、ピクシーはもちろん、チームメートにも話を聞くことができた。クリスマスにはベオグラードにあるピクシーの自宅にお邪魔し、伝統的な子豚の丸焼きをご馳走になった。

 

 ワインですっかり上機嫌になったピクシーのもとには、世界中のビッグネームから次々とお祝いの電話もかかってきた。その中には、いまや不倶戴天の敵になったはずのクロアチア人からのものもあった。そうそう、「お前は誰が世界最高の監督だと思う? 俺にとっては……知ってるかな、シュトルム・グラーツっていう小さなチームで監督をやってる――」と言ってボスニア人にして後の日本代表監督の名をあげたのも、いまとなっては懐かしい思い出だ。

 

 ただ、こちらとしてはすっかり親しくなったつもりでいたピクシーが、一瞬にして表情を凍りつかせたことがあった。間近に迫ったW杯日韓大会について、わたしが「W杯って戦争みたいなものだから……」と口走ったときのことである。

 

「お前は本当の戦争を知っているのか?」

 

 激しい中にも冷たさを感じさせる表情だった。激怒、そんな表情が生ぬるく思えてしまうぐらい、ピクシーは感情を害していた。

 

「どれほど激しくても、サッカーは戦争ではない。断じて同じものではない」

 

 それだけ言うと、彼は何事もなかったかのように話題を変えた。戦争についての話題にとどまることを嫌悪したようにも感じられた。

 

 それまでは当たり前のように使っていたサッカーを戦争にたとえる比喩を、以来、わたしは使わなくなった。サッカーに限らず、どんな激しい争いや戦いについても使わなくなった。というより、使えなくなった。

 

 20年上半期の地球上では、世界中の多くの政治家が今回のコロナ禍を戦争にたとえた。自ら戦時大統領を名乗った方もいる。

 

 もちろん、今回のコロナ禍の危険性が、サッカーなどとは比べ物にならないのも事実。政治家が信念をもって戦争にたとえるならば、それはそれでかまわない、とは思う。ただ、こと日本に関しては、たとえない方がいいんじゃないか、という気がしてならない。

 

 というのも、日本人が体験した最新の戦争には、明確な終わりがあった。とてつもない衝撃や失望、喪失感はあっただろうが、それでも、ある一日を境に日本人は空襲の恐怖から解放された。

 

 だが、今回のコロナに終戦はない。無条件降伏したからといって、攻撃の手を緩めてくれるわけではない。にもかかわらず、この戦いを戦争にたとえられれば、少なくともわたしは、8月15日を欲しがってしまう。「ああ、あすからは平和なんだ」と解放感に浸れる日を欲しがってしまう。

 

 プロ野球の6月19日開幕が決まった。ただし、無観客での開幕。終戦でも一気の解禁でもない。スポーツの運営に携わる人たちが、コロナと戦争を同一視していないことを教えてくれる決定だった。うん、日本もまだまだ捨てたもんじゃない。

 

<この原稿は20年5月28日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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