かつて「左足の怪物」と呼ばれた小倉隆史さんに久保建英について聞いたのは、昨年の年末だった。

 

「かわいそうだよね、あのチームじゃ。彼がやりたいこと、誰もわかってないし感じてない」

 

 まったく同感だった。FC東京でチームを牽引する存在になっていた男が、単なる駒の一つに成り下がっていた。魔法の力を秘めたほうきを、マジョルカはごみ掃除にしか使おうとしなかった。

 

 あれから半年しかたっていない。コロナ禍の中断があったことを思えば、実質的な時間はもっと少ない。だが、マジョルカにおける久保の立ち位置は、劇的といっていいぐらい変わった。

 

 半年前の久保は、極端な言い方をすれば戦術の奴隷だった。彼がやりたいことではなく、チームが命じたことをやる。必ずしも特別な才能がなくてもできる仕事を、黙ってこなす。そうせざるをえない環境に彼はあった。

 

 それがどうだろう。いまのマジョルカにとって、久保は唯一の戦術となっている。戦術にはめ込んで久保を使うのではなく、久保にボールを集めてすべてを託す。半年前はすぐ近くにいても久保にはパスを出さなかった選手たちが、いまでは反対サイドにいても背番号26を探すようになっている。

 

 現地メディアの評価もうなぎ上りのようで、降格か残留か、マジョルカの行く末とは関係なく次へのステップアップが確実視される。「次」の中にはもちろん、貸出先であるレアル・マドリードの名前も含まれている。最近の活躍を見れば、それも当然と言っていい。

 

 もっとも、まだ神ではない久保には、当然のことながら懐疑の目を向けられる。その中の最もたるものが、彼の得点力に関するものかもしれない。アタッカーならばもっと点を取らねば、というのである。

 

 かれこれ四半世紀以上、日本人の攻撃的な選手が海を渡るたび、わたしは言い続けてきた。

 

「とにかく点を取ることにこだわれ!」

 

 中田英寿がペルージャで認められたのは、開幕戦のユベントス戦で2ゴールを挙げたからだった。残念ながら昔も今も、欧州における日本人選手の地位は決して高くない。良くて侮蔑、悪ければ無視。そんな状況を打破するには、ゴールがもっとも有効だという考えは、いまも変わらない。基本的に、アシストはゴールほどには評価されないからだ。

 

 だが、こと久保に関する限り、わたしはゴールにこだわらなくてもいいと思っている。移籍すればまた状況は変わるかもしれないが、少なくともマジョルカでプレーする限り、無理して得点を狙わなくてもいい。

 

 なぜって、彼はすでにもう認められているから。

 

 ゴールが不要だといいたいわけではない。ただ、1対1の仕掛けでは完全に相手を見下ろしている久保が、シュートだけは一生懸命というか、肩の力が入りまくっているのを見ると、「もう君はその段階ではないよ」といいたくなる。

 

 認知させるためのシュートは、ゴールは、もう久保には必要ない。過去の日本人選手とは完全に別の次元に、彼は足を踏み入れつつある。

 

<この原稿は20年7月9日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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