阪神の藤川球児が不調なのは、無観客試合の影響ではないか、というコラムを他紙で読んだ。彼はスタンドの空気を全身に感じながら投げる男。だからではないか、という。

 

 なるほど。

 

 リモートマッチ。野球はサッカーほどには影響を受けないのでは、と思っていたが、確かに、ファンの声援や祈り、時には罵声をもエネルギーにするタイプの選手からすると、観客の不在は痛いかもしれない。

 

 だとしたら――。

 実はサッカーを始めたころからナゾだった。

 なぜイングランドのサッカーは、あんな具合だったのか。

 

 いまは違う。けれども昔のイングランドといえば、技術より闘志。パスワークより体当たり。ストライカーは前歯の折れたヤツばかりで、ハイクロスに巨躯を躍らせて飛び込んでいくのが生きがい(嫌いじゃないんですけどね)。

 

 もしかして、あのスタイルって、観客の影響から生まれたものではなかったか。サッカーの母国であり、どこよりも早くプロ化に踏み切ったこともあり、イングランドのサッカー場は、おしなべて専用競技場だった。ピッチとスタンドの距離は近く、観客の熱はすぐ選手に伝わる。ところが、これがドイツやイタリアになると、当初、サッカーが行われていたのはほとんどが陸上競技場だった。

 

 昨年のラグビーW杯を見ても感じたのだが、陸上トラックのあるスタジアムになると、肉弾戦の迫力というのは相当に損なわれる。半面、細かいパスワークなどは、ある程度の距離があっても十分に楽しめた。

 

 つまり、専用競技場でプレーし、かつもともとはラグビーとルーツを同じくしていたイングランドの場合、試合に激しい肉弾戦を求める観客が多かった。興行となったプロ・サッカーでは、観客のニーズに応えるのが当然。よって、イングランドではキックアンドラッシュが、大陸ではパスワークが発展したのではないか。

 

 やっぱり、相手と激突してはね飛ばしたりするのって、大量のアドレナリンが必要不可欠な気がするし。

 

 さらに思いついたこと。

 わたしにとって人生最高の試合、それはペップ体制2年目のバルサがホームにセビリアを迎えた試合だった。

 

 普段のカンプ・ノウは熱狂的なスタジアムだが、この日は、信じられないぐらいに静かだった。パス、パス、パス。イニエスタ、シャビの奏でたサッカーが綿密すぎて、美しすぎて、歓声よりも驚嘆のため息しか出てこなかった。観戦ではなく観賞。そんな試合だった。

 

 究極のパスサッカーは、興奮ではなく感動を呼ぶ。歓声ではなく静けさを生む。

 

 そこで思う。観客席が選手のアドレナリンを刺激することのないいまは、荒々しいサッカーより、綿密さを追求するサッカーを利するのではないか。

 

 海外サッカーに続き、いよいよJ2、J3も再開、開幕した。2節の試合では、とことんポゼッションにこだわるヴェルディのスタイルが目を惹いた。個々の動きに物足りない点は多々あるにせよ、注目していきたい。

 

<この原稿は20年7月2日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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