読者の皆様、お久しぶりです。当コラムはJリーグの中断を受け、休載しておりましたが、リーグ再開に伴いこちらも再開いたします。これからもよろしくお願いします。

 

 しかし、依然として厳しい状況は続きますね。新型コロナウイルスは感染拡大を続けております。僕が支配人を務める宿泊施設・鹿島ハイツスポーツプラザは6月上旬には既に、7月の予約が全てキャンセルとなってしまいました。こればかりは致しかないですね。

 

 6月27にJ2、J3が再開・開幕し、7月4日にJ1が再開しました。いずれも無観客開催でしたが、リーグは7月10日から「5000人以下」「声援を発するのは禁止」などいくつかの条件付きで有観客開催となりました。ファン・サポーターの拍手に選手たちは背中を押され、ハツラツとプレーしています。

 

 さて、気がかりなのが鹿島アントラーズです。第7節を終え1勝1分け5敗、勝ち点4の最下位タイに沈んでいます。正直、各ポジションの連係が取れていない。DFラインを高く保つのであれば前線からプレッシャーをかけないとDFラインの裏を一本のパスで簡単に狙われる。ホームの第3節、北海道コンサドーレ札幌戦で、FW鈴木武蔵に許したゴールはその典型でした。誰がマークにつき、誰が背後のスペースをケアし、誰が前線に声を掛け、誰がチェイシングにいくのか……。これらを明確にしないといけないですね。

 

 DF4人とボランチの前後関係も悪いように映ります。アントニオ・ザーゴ監督はセンターバックが大きく開き、その間にボランチが降り、サイドバックを高い位置に押し出す戦術を採用します。これを徹底させ過ぎている感がありますね。サイドに人数を割くがゆえに、中盤でボールを奪われると相手選手に中央からドリブルで仕掛けられる。戦術を徹底させ過ぎるがゆえにピッチ上でのバランスが崩れています。ここが整理されない限り、今季のような「ザルなDF」は今後も続いてしまいますよ。

 

 ホームの第7節、FC東京戦は非常に勿体ない試合でした。この試合、前半34分に左サイドハーフで先発したエヴェラウドのゴールで先制しました。しかし、前半アディショナルタイムの5分間にコーナーキックから立て続けに2失点。結果的には、後半30分にMF土居聖真が決めて、引き分けでした。あと数分しのげば、ハーフタイムで仕切り直しができるところでした。もちろん、相手キッカーのMF三田啓貴のキック精度が素晴らしいのは重々承知していますよ。ただ、あの時間帯でセットプレーでの失点はいただけない。

 

 型にはめ過ぎな感も……

 

 セットプレーでの失点は自分がケアすべきマーカー、もしくはスペースでやられたと容易にわかります。自分がつくべき相手選手に決められたら最悪ですよ。アントラーズの選手からは入って来たボールに対して、「オレ、触れるかなぁ、触れないかぁ。足伸ばしたけど、当たらなかったなぁ」くらいの気持ちしか伝わってこない。相手はピンポイントで狙ってくるんですよ? ふんわりとした意識でいたら確実にやられます。今季のアントラーズは見ていて腹立たしいシーンが多い。「ふざけるな! 責任逃れみたいなプレーをすんなよ!」と後輩たちには厳しく伝えたいです。

 

 攻撃もかなり単調なものになっています。サイドアタックの一辺倒になってしまっていますね。これは相手のセンターバックからするとかなり楽ですよ。縦にズバッとセンターフォワードに入れるようなパスやスルーパスで中央を崩す意識がほぼない。後方でビルドアップをしていても、結局は高い位置にいるサイドバックからのクロスだけ警戒していればいいわけです。

 

 サイド攻撃をいかすためにも、相手守備陣に“中央もある”と意識させることが重要です。相手が中央に寄ってきたら、今度は得意のサイドが空く。サイドを機能させるためにも中央からの攻撃も織り交ぜるべきですね。センターバック心理としては自分の目の前でシュートを打たれるのが一番嫌です。そういった駆け引きがもう少しあってもいいのかなと感じます。

 

 あとは、自分たちがボールを持つことにこだわり過ぎていますよね。場合によっては相手にボールを持たせてしまう時間帯があっても僕は構わないと思います。味方FWが相手のセンターバックにアプローチできないならラインを上げない。少し、相手に持たせて時間を確保する。それから徐々にサイドで囲い込む。相手に回されるのではなく、自分たちの前で“回させてもOK”といった余裕が欲しいですね。

 

 再開1発目の原稿が随分と辛口なものになってしまいました(苦笑)。近いうち、ジーコが鹿島に戻ってくるそうです。ジーコが現場の空気をピリッと締めるのか、ザーゴ監督と話し合いの場を持つのか。いずれにしても、緩んだねじを締めてもらいたいものです。

 

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)

<PROFILE> 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。


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