鹿島アントラーズでプレーしていたDF内田篤人が現役を引退いたしました。現役最後の公式戦は第12節、カシマスタジアムで行われたガンバ大阪戦でした。右サイドバックで先発出場した廣瀬陸斗が負傷し、前半16分から内田はピッチに立ちました。結果は1対1の引き分けでしたが、内田のプレーは素晴らしかったと思います。

 

 内田は縦に突破してクロスをあげたり、得点が生まれたきっかけとなるサイドチェンジを蹴ったりと内田のパフォーマンスはよかった。得点に絡んだことで本人も記憶に残る試合になったのではないでしょうか。

 

 つなぐサイドバックの草分け的存在

 

 サイドバックは内田の適正にぴったりなポジションでしたね。スピードをいかすためのスペースが前方にはたくさんあります。持ち味のスピードをあげながらスペースに走り込み、攻撃に参加できていました。

 

 元々攻撃的なポジションの選手です。後ろとタッチライン側からは相手のプレッシャーがこないこともあり、ボールを持って、慌てることなく余裕を持って前線にパスを供給していました。日本人ではボールポゼッションに積極的に参加するサイドバックの草分け的存在と言っていいでしょうね。

 

 内田のポテンシャルが高かった言うまでもないですが、アントラーズに入団したのは大きかったでしょう。このクラブは伝統的な4-4-2を崩すことなくやってきた。他クラブよりもサイドバックに対する要求は高いです。中盤の選手がキープしている間のオーバーラップのタイミングなどは徹底されています。いつ、どのタイミングで上がるべきか。この判断を養うにはアントラーズというクラブがピッタリだったと思います。中盤の選手の要求レベルも高いです。

 

 また、守備に関してもアントラーズはセオリーが徹底されています。センターバックのフォローや一時的に3バックのようなかたちを作る、外側にいる相手選手は視野に入れつつ、今は内側に絞るべき場面なのか……そういったことをセンターバックと連係を密にしながら守備をします。当たり前なのですが、他クラブよりアントラーズはかなり徹底しています。私もアントラーズから京都パープルサンガ(現京都サンガFC)に移籍し、実感しました。私は現役時代、隣でプレーするサイドバックと常にサポートの確認をしながらプレーしていましたから。内田も先輩の岩政大樹から指導を受けたのだと思います。

 

 ドイツにわたってからはフィジカルコンタクトも強くなりましたね。苦しい時期もありましたが、世界レベルのアタッカーを相手に無理に飛び込まず、粘り強い1対1の対応に磨きをかけました。その結果、日本人でUEFAチャンピオンズリーグ最長出場の記録を作りました。

 

 将来のことは未定とのことです。しかし、ぜひアントラーズの再建に貢献してほしいと期待しています。内田しか経験しえなかったことを後輩たちに伝えてほしい。監督と選手の間に入り、良き兄貴分的なポジションなど、彼にうってつけなんじゃないかなぁ、なんて思います。海外のトップレベルでの経験も含め、後輩に伝えてもらいたいものです。

 

 もうひとりの僕の後輩

 

 さて、最後にJリーグにも目を向けましょう。現在、首位は11勝2分け1敗、勝ち点35の川崎フロンターレです。2位のセレッソ大阪に勝ち点8差をつけています。中央から、サイドから、セットプレーからと計41得点。それに加え、14試合で12失点と攻撃的な印象が強いですが、守備もしっかりとしています。今季、4-3-3にトライしていますが、システムが変わろうが川崎Fは非常にシンプルにプレーしている。コンパクトに、間延びは絶対せず、かつ自分たちは相手の嫌がるスペースでプレーをする。このサイクルがうまく回り、選手たちは自信に満ち溢れています。

 

 若手とベテランをうまく使い、クラブレベルを年々上げている鬼木達監督は素晴らしい。2017年から監督を務め、これだけしっかりした地盤を築き、高いレベルで安定した戦いができる。日本サッカー協会もおそらく、鬼木のことを意識しているのではないでしょうか?

 彼もアントラーズ時代の後輩に当たります。

 

 アントラーズから育った人材が優秀な指導者になってくれたら、僕としても嬉しいです。一時、「自分たちのサッカー」という言葉がひとり歩きしましたが、アントラーズではまず「勝つこと」が優先を優先します。ゆくゆくは鬼木が代表絡みの仕事を、内田はアントラーズ再建のために……なんてことを想像してしまいますね。

 

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)

<PROFILE> 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。


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