名古屋の選手からコロナ陽性反応が検出され、先週末の広島対名古屋戦が中止になってしまった。自分たちの立っているのが、実は薄い氷の上だったと思い知らされた気分だった。

 

 今週末に名古屋での試合を控えた柏からは、試合の延期を求める声が上がっているようだが、この原稿を書いている時点では、予定通りに行われることになっている。感染を警戒する気持ちもわかるし、簡単に中止にできないJリーグの立場もわかる。

 

 ただ、もし急転直下で試合の中止が決まった場合は、名古屋以外の会場でぜひ取っていただきたいアイデアがある。

 

 フラッグでもいい。ユニホームでもいい。試合に臨むすべてのチームが、名古屋にまつわる何かを手に入場し、気持ちは共にあることをアピールしてほしいのだ。

 

 今回のコロナ禍で大きな問題となっていることの一つに、感染した方、感染が疑われる方への差別があるという。

 

 確かに、もしわたし自身が感染したとしたら、その事実を公表するか否かはちょっと迷うだろうし、発表するにはある程度の勇気が必要になるのでは、とも思う。迷う時点、勇気がいると考える時点で、わたしの中にも差別意識があるということだ。

 

 さらに、自分はいいとして、子供が学校でいじめられたりしないか、などといった思いも過る。

 

 言うまでもなく、感染は恥でもなければ罪でもない。そのことは重々承知していながら、なぜか「単なる不運」で片づけられない自分がいる。

 

 だからこそ、薄い氷の上でプレーしているチームは、幸いにして割れずに立っていることのできるチームは、割れてしまったチームに寄り添う姿勢を見せてほしい。ともすれば感染者を穢れのように扱いがちな日本社会に、そうではない価値観を示してほしい。

 

 Jリーグは、今回のコロナ禍を真っ先に「国難」ととらえ、スポーツ界のみならず、日本社会をリードする形で指針を示してきた。世界に先駆けて降格の中止を決定するなど、その先見性に目を見張らされたのは一度や二度ではない。ここはひとつ、感染者を排除するのではなく、仲間として見守る姿勢を社会と世界に先駆けて訴えてくれれば、と思う。

 

 さて、Jリーグそのものを見てみると、ここまでは川崎Fの圧倒的な強さが目につく。昨シーズンはレアンドロ・ダミアンを補強したことが裏目に出たというか、新たな化学反応を期待して投入した異物が、単に異物のまま終わってしまったばかりか、本来の持ち味まで壊してしまった感があった。

 

 だが、3連覇を逃した対価を、今年の川崎Fは手にしようとしている。異物は完全にチームに溶け込み、攻撃のバリエーションは明らかに増加した。

 

 これほど圧倒的な存在を見るのは、2000年前後の磐田以来かもしれない。あのチームも「レアルとやらせたい」と思えるほど魅力的だったが、いまの川崎Fは、それに匹敵する強さと美しさを保持している。できることならば、この強さ、最後まできちんと見届けられる今季でありますように。

 

<この原稿は20年7月30日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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