スポーツポータルサイト「Sportsプレミア」では新たなスポーツ記事を連日、配信中です。このサイトではJBpress(日本ビジネスプレス)、講談社、スポーツコミュニケーションズの共同運営により、3社がそれぞれ配信している独自の記事を合わせて読むことが可能になっています。このたび、二宮清純の書き下ろしコラムコーナー「清純プレミアム」が更新されました。今回のテーマは「73年、T−G最終戦の光と影」です。

 当サイトでは特別にコラムの一部を紹介します。
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「新幹線は東京発14時。車中、僕は森昌彦(現・祇晶)さんと、ずっとラジオを聴いていた。東京からだと中日球場は左側に見える。目に飛び込んできたスコアは9回表、4対2で中日リード。そこから新大阪までは“希望の列車”だったね」

 振り返って、そう語るのは元巨人のショート黒江透修さんです。

 中日球場は1975年にナゴヤ球場と名称を改め、現在は主に中日の2軍が使用しています。

 今年も“混セ”ですが、73年のセ・リーグは空前の大混戦でした。V9を達成した巨人から最下位・広島までのゲーム差は、わずか6.5ゲーム。

 10月20日、中日球場での中日−阪神戦。阪神がこの試合に勝つか引き分ければ、9年ぶりのリーグ優勝が決まります。敗れれば、翌日、本拠地の甲子園で巨人と雌雄を決することになります。

 巨人がV9を達成するには、20日の試合で中日が阪神に勝つしかありません。もし阪神が中日に勝つか引き分けで優勝を決めれば、甲子園での最終戦は“消化試合”となってしまうのです。

 中日勝利の報に接した巨人の選手たちは、新大阪へ向かう車中で誰彼なく握手をかわしました。その夜、常宿にしていた竹園旅館でのミーティングで川上哲治さんは選手たちに、こう語りかけたそうです。

 黒江さんの回想――。
「川上さんはこう言いましたよ。“明日が最後。バッターはストライクを打て。ピッチャーはストライクを投げろ。それだけだ。以上!”とね。それ以外、余計なことは一切、言わなかった。短いけれど、いいミーティングでしたよ」

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