ありえないことが起きた時、人はしばし放心状態に陥る。

 

 

 47年前の夏、中学生の私はテレビの前で口を半開きにしたまま固まっていたはずだ。

 

 この年、全国高校野球選手権の地方大会には2660校が参加していた。全国の頂点に立つのは、わずか1校。後は全てが敗者となる。甲子園とは壮大にして残酷なトーナメントである。

 

 大会の本命は江川卓擁する作新学院(栃木)。春は準決勝で姿を消したものの4試合で60三振を奪い、「怪物」の異名をほしいままにしていた。

 

 その後も甲子園には「怪物」と呼ばれたピッチャーが何人か現れたが、江川はケタが違っていた。なにしろバットがボールに当たっただけでスタンドから拍手が巻き起こるのだ。劇画の世界である。

 

 江川・作新は2回戦で銚子商(千葉)と対戦した。銚子商にも土屋正勝という、後にプロ入り(中日、ロッテ)する本格派の好投手がいたが、まだ2年生である。

 

 しかも銚子商は、関東大会などで江川・作新に1度も勝ったことがなかった。1試合で20個以上の三振は当たり前。江川にすれば赤子の手をひねるようなものだった。

 

 しかし、この夏、江川自慢のストレートは、明らかに伸びを欠いていた。初戦の柳川商(福岡)戦は2対1で、どうにかサヨナラ勝ちを収めたものの、試合は延長15回にまでもつれ込んだ。

 

 後年、江川に聞くと招待試合に次ぐ招待試合で疲れ切っていたようだ。チームワークもバラバラだった。メディアは江川ひとりを追いかける。それを他の多くの選手たちは快く思っていなかった。

 

 関東勢同士の戦いは両チーム無得点のまま延長戦に突入した。試合途中から降り出した雨は12回に入って土砂降りの様相を呈し、足場も不安定なものとなった。

 

 江川は目の前の敵に加え、雨とも戦わなければならなかった。2つの四球とヒットで一死満塁。ここで江川はタイムをかけ、内野手をマウンドに呼ぶ。

 

「最後は思い切って投げたいんだけど、どうだ?」

「オマエのおかげでここまで来れたんだ。最後は好きにしろよ」

 

 普段は口も利かない間柄だった選手からの感謝の言葉。もう思い残すことはなかった。思いの丈を込めて腕を振ったストレートは、うなりを生じて大きく高めに外れたが、なぜか江川の表情は晴れ晴れとしていた。

 

 まさか、こんな負け方があるとは……。あの夏、江川は日本中が注目した「怪物の物語」に、自らの腕で幕を引いてみせたのである。

 

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2020年7月24日号に掲載されたものです>

 


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