土佐女子中学に進学した後も宮本葉月は、引き続き高知スイミングクラブ(SC)の瓶子勇治郎コーチの下で腕を磨き続けた。

 

 

 

 

 

 

 全国中学校体育大会(全中)が、大きな目標となった。すると1年生時から上位入賞を果たす。3m飛板飛び込み、高飛び込みの2種目で4位に入ったのだ。初の全中で上々の出来と言えるが、宮本は悔し涙を流した。

「表彰台に乗りたいと思っていたから、めっちゃ悔しかったです。でも周りからすれば、私の実力だったらそれが妥当と思われていました。『なんで泣いているの?』と言われましたね」

 負けん気の強い彼女らしいエピソードである。“もっと上手くなりたい”という向上心の表れでもあるだろう。

 

 全中から1カ月後、日本選手権大会に出場すると3m飛板飛び込みで4位入賞。表彰台こそ逃したものの、シニアの日本一を決める大会で上位に食い込んで見せたのだ。

「初めてのシニア大会だったので、向かっていく気持ちでした。瓶子コーチからも『挑戦者の気持ちで自分のやることだけしっかりやるように』と言われました。だから4位になったと知った時は、ビックリしましたね」

 彼女の上を見渡せば、オリンピック2大会(北京、ロンドン)に出場した中川真依(当時・石川ダイビングクラブ)、現在シンクロナイズドダイビングでコンビを組む榎本遼香(当時・作新学院高校)ら実力者がいた。中学1年の宮本からすれば、初の日本選手権出場で大健闘と言っていい。

 

 年が明け、高知SCのダイビングチーム恒例の書き初めで、宮本は“全中二位以上”と記した。1年時の活躍を見れば、無謀とは言えない目標設定だった。

 

 しかし2年時の全中は順風満帆とはいかなかった。6月の練習中、入水に失敗し、左肩を痛めたのだ。1週間はプールから離れねばならなくなった。この月には国際大会派遣代表選手選考会を兼ねた室内選抜競技大会が開催される。宮本にとって世界ジュニア選手権大会への出場権をかけた大事な選考レースだった。

「世界ジュニアは前年のシーズンオフから、ずっと目標にしてきた大会。“ケガのせいで代表を外れることになったらどうしよう”とすごく不安でした」

 

 宮本は焦りから家族に当たってしまったこともあったという。

「家族は私の気持ちが落ち着くまで、見守ってくれました」

 周囲の支えにより、徐々に心を整えていった。世界ジュニアの代表入りを決め、8月の全中に臨んだ。

 

 高難易率の技に挑戦

 

 この年の全中は四国で行われ、飛び込み競技は春野総合運動公園プールが会場となった。地元開催のプレッシャーを感じつつ、宮本は高飛び込みで4位に入った。“また4位……”。高飛び込みが得意種目ではないにしても、こう4位が続けば不安の思いは膨らむばかりだ。

 

 失意の高飛びから一夜明け、3m飛板飛び込みは不安定な天候を考慮し、予選を実施せず、決勝3本の勝負となった。さらに午後から始まった決勝も雷雨の影響で中断を余儀なくされた。選手たちにとって、コンディションやモチベーションを保つのは容易ではなかっただろう。ところが、このアクシデントは宮本に幸いした。

「地元開催だったので、めっちゃ緊張していましたが、この日の雷などで全員が試合という感じではなくなっていました。天気が落ち着くのを待っている間、試合関係なくみんなで遊んでいました。そのおかげで良い感じにリラックスできたんです。いつしか緊張はなくなりました」

 

 飛板飛び込みで宮本は、のちにリオデジャネイロオリンピック8位入賞を果たす板橋美波(当時・御殿山)に次ぐ2位に入った。

「“もう4位にしかなれんのかもしれん”と思っていた中での2位でした。もちろん優勝したかったので、悔しいけどうれしい2位でした」

 宮本にとって全中初の表彰台だ。表彰式を迎える頃には、荒れに荒れた天候は落ち着いていたという。空模様と共に、彼女にとって激動の全中は晴れ間が見えるかたちで終わりを迎えた。

 

 ロシアで行われた世界ジュニアは高飛び込み、3m飛板飛び込みの両種目で予選落ちだった。決勝に進めず、悔しい世界大会となった。直後の日本選手権では3m板飛び込みで9位と前年の4位から5つ順位を落とした。

「中2の全中終わりぐらいから技の難易率を上げました。その時は結果もあまり良くなかった。どうやったら上手に飛べるかわからなくて、ただがむしゃらに何本も飛んでいました」

 

 技の難易率が上がれば、当然得点は高くなる。その一方で技が難しくなれば、失敗のリスクも増える。だが彼女がさらに上を目指すためには必要なチャレンジだった。その努力が実を結び始めたのが秋田で行われた全中だった。

 

 高飛び込みで2位に入り、迎えた3m飛板飛び込みだ。予選の制限選択飛びは1.15点差の2位だったが、決勝の自由選択飛びで高難易率の技を連発し、トップに立った。ラスト3本目の試技で自己最高の69.60の高得点を叩き出し、優勝をほぼ確実なものにした。重圧も少なくなかったという宮本は「中3はめっちゃホッとした。“やっと私の所に金メダルが来てくれた”と思いました」と振り返った。

 

 最後の全中で表彰台の真ん中に立つことができた後は、全国JOCジュニアオリンピックカップ夏季大会、国民体育大会、日本選手権とハードな日程をこなした。タイの首都バンコクで行われたアジアエージ選手権の14、15歳の部では4冠を達成。4個の金メダルを胸に飾り、日本に帰ってきた。確かな自信を手にした宮本は、その後も多くの金メダルを掴んでいくのだった――。

 

(第4回につづく)

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宮本葉月(みやもと・はづき)プロフィール>

2000年12月25日、高知県高知市出身。小学3年で飛び込み競技を始める。土佐女子中・高を経て、近畿大学に進学。全国中学校体育大会、日本高等学校選手権大会、日本学生選手権大会と各カテゴリーの飛板飛び込みを制した。高校2年時には1m板飛び込みと、シンクロナイズド3m板飛び込みで日本選手権を制覇。1m板飛び込みは現在まで3連覇中。18年アジア競技大会(インドネシア・ジャカルタ)、19年世界選手権大会(韓国・光州)に日本代表として出場した。20年2月、国際大会派遣選手大会のシンクロナイズドダイビング3m板飛び込みで1位。東京オリンピックの選考会となるW杯出場を決めた。身長152cm。

 

(文/杉浦泰介、写真/近畿大学提供)

 

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