バルサ崩壊生んだメッシの“怪物化”
恥ずかしながら、10年前のわたしは“こんなバルセロナ”をまったく予想できていなかった。まさか、バイエルンに8発ブチこまれて惨敗する日が来るなんて!
世界のサッカーが平家物語だということはわかっていたつもりだった。諸行無常。盛者必衰。だが、バルサだけは例外たりえると思っていた。
なぜか。資金力にモノを言わせて世界中から才能をかき集めるチームであれば、クラブやその国の経済状況によって暗黒時代に突入することもあろう。
バルサは違う。彼らの強さの源泉は下部組織にあった。定期的にシャビやイニエスタ、メッシを輩出できるクラブが、衰退などするはずがないではないか――そう思っていた。
だが、ここ数年、バルサのサッカーにとんと魅力を感じなくなっている自分がいた。強いことは強い。とはいえ、10年前の芸術性は完全に消え、単なる個人の才覚頼みのサッカーに成り下がった感があった。10年前のバルサはメッシがいなくても成立するトータル・フットボールだったが、現在のバルサはメッシがいなければ成立しない、86年アルゼンチン代表のようなチームである。チームとしての完成度、美しさは比べるべくもない。
グアルディオラがチームを離れてからも、依然としてクラブはポゼッションを重視し、ティキタカをある種の理想としてきたはずである。にもかかわらず、第二のシャビやメッシは現れず、トップチームの輝きは損なわれるばかりだった。
なぜだろう。
思うに、理由は2つある。
ひとつは、ペップのあとを引き継いだ監督たちが、ペップのスタイルを尊重しつつ、少しずつ自分のエッセンスを加えようとしたこと。ティキタカが研究され、ペップ自身、志向するスタイルを少しずつ変化させている以上、これは必ずしも批判されることではない。
ただ、それぞれの監督がそれぞれのエッセンスをつぎ込んでいるうち、どんどんとかつての“らしさ”は薄れていった。ペップのスタイルを否定した監督は一人もいなかったが、ペップのスタイルを再現できた監督も一人もいなかった。結果的に起きたのは、進化ではなく退化だった。
だが、こうなった最大の理由は、メッシの怪物化にあるとわたしは思う。いまのメッシは10年前のメッシより凄い。10年前のメッシは戦術にプラスアルファを加える存在だったが、いまのメッシは戦術そのものである。つまり、ティキタカでなくてもチームを勝たせられる存在を育ててしまったことが、バルサが壊れた最大の原因ではないかと思うのだ。
では、バルサを甦らせるためにはどうするべきか。クーマン新監督? わたしの世代にとってはレジェンドだが、志向してきたサッカーを含めて、若いファンに響くかどうか。根本的な解決になるとは思いにくい。
もしバルサが今回の敗戦で地に堕ちた名声の復活を願うのであれば……実現性はともかく、わたしは、メッシを放出し、グアルディオラを呼び戻す以外ないように思う。
ところで、かつてのクライフの引退試合でアヤックスに8発をぶち込んだのもバイエルンだった。相変わらず無慈悲なことで。
<この原稿は20年8月20日付「スポーツニッポン」に掲載されています>