驚いた。

 バルサを再建するためにはメッシを追放し、ペップを呼び戻すしかないと書いたのが先週のこと。あまりにも怪物化したメッシが、バルサの緻密なサッカーを壊してしまったと考えたからである。

 

 とはいえ、それが現実のものになるとは、正直、思っていなかった。まして、メッシの側が移籍を希望するとか、その原因をつくったのがクーマン新監督だという報道が出るとは、まったく予想していなかった。

 

 一部報道にあるように、もし本当にクーマンがメッシに対して「留まるより出ていった方がいい。特別扱いは終わりだ」といった趣旨の言葉をぶつけたのであれば、決裂は当然である。

 

 ただ、メッシを必要としない監督がこの世に存在するとはわたしには思えないし、バルサというチームをよく知るクーマンが、すべてのファンを敵に回しかねない「メッシを追い出した男」の役を望んだとも考えにくい。

 

 常識的に考えれば、現場とは直接関係のないフロントがその責を負うというのが常套手段のはず。噂の真偽はともかく、これでクーマン新監督は対選手、対ファン、対マスコミ……凄まじい逆風の中でのスタートを余儀なくされることとなった。

 

 驚いたといえば、欧州CLの決勝にも驚かされた。

 

 試合前のアンセムを聞く選手たちの表情が映し出されたとき、わたしは名勝負の可能性をほぼ諦めた。ほとんどの選手が、昂りを感じさせない、まるでアジアの親善試合に臨むような表情をしていたからである。

 

 ところがどっこい。

 

 キックオフの笛が鳴った途端、両チームの選手はテンションをマックスに持っていった。バイエルンはいつものように獰猛なボールハントをしかけ、パリSGはバイエルンの両サイドに強烈な圧をかける。普段通りのバイエルン、スペシャル・プランを用意したパリSG、という図式である。

 

 ほぼ互角のまま、0-0で終わった前半だったが、手応えを感じていたのはパリSGではないか、というのがその時点でのわたしの印象だった。一度自陣でサイドを使い、相手を広げておいてから……というバイエルンのスタイルは、ほぼ完璧に封じられていたからである。

 

 だが、どれほど圧をかけられても、バイエルンは断じてGKや最終ラインからサイドにボールを供給することをやめなかった。蹴っておけばセーフティーな場面でも、徹底してサイドに起点をつくり続けた。

 

 結局、それが効いた。

 

 バイエルン対策としてサイドに圧をかけ続けたパリSGは、その代償として、いつも以上に体力を消費していた。徐々に圧は弱まり、バイエルンはその隙をついた。

 

 もしバイエルンがサイドへの展開を放棄していたら、展開はまた違ったものになっていたかもしれない。貫くべきか、対応すべきか。両監督の意図、志を明確に感じることのできた90分だった。

 

 ちなみに、バイエルンのフリック、パリSGのトゥヘルはともにドイツ人監督。10年代はスペイン人監督が欧州を席巻したが、どうやら20年代の前半は、ドイツ人監督が立場を取って代わりそうだ。

 

 栄枯盛衰、いと早し。

 

<この原稿は20年8月27日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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