村長を普通に「そんちょう」と呼ぶか、少々時代がかるが「ムラオサ」と呼ぶかで、イメージは随分変わってくる。前者は文字通り行政単位としての「村」のトップだが、後者には得も言われぬ威厳が漂っている。

 

 昨年12月、東京五輪・パラリンピック選手村村長に就任した川淵三郎を、私は敬意を込めて「ムラオサ」と呼んでいる。

 

 日本人が古くから抱くイメージとしての「ムラオサ」は共同体を束ね、人心を掌握し、一朝ことある時は堅忍不抜の精神で事にあたり、解決する。村人を守るためには代官との対決も辞さない骨太で肝が据わった人物――。過去の実績、言動からして、川淵こそは「ムラオサ」の呼び名にふさわしいのではないか。

 

 Jリーグ初代「チェアマン」、日本サッカー協会会長時代は「キャプテン」。過去において、川淵はキャッチーな肩書きで耳目を集め、抜群の実行力と未来を見据えた卓抜の構想力でサッカー界のみならずバスケットボール界、ひいては日本のスポーツ界を牽引してきた。

 

 今回の選手村「村長」には多分に名誉職的な意味合いもあるだろうが、川淵が就いた以上は一味違うものになるはず、と秘かに期待している。たとえば、入村式での挨拶。これはIOCの第一公用語であるフランス語と第二の英語で行うことになっている。

 

 来年夏、「ウイルスを克服した象徴」(IOCトーマス・バッハ会長)としての五輪・パラリンピックが開催された場合、川淵はアスリートの向こうにいる世界の人々にどんなメッセージを発信するのか。「僕の性格から言って、通り一遍のものは嫌だからね」と制約を守りつつも、独自性をしのばせることを匂わせている。

 

 私が川淵の挨拶文の中身に興味津々なのは、1993年5月、Jリーグ開幕を告げる国立競技場での名スピーチが忘れられないからだ。「開会宣言。スポーツを愛する多くのファンの皆様に支えられまして、Jリーグは今日ここに大きな夢の実現に向かってその第一歩を踏み出します」

 

 スピーチの肝は「サッカーを愛する」ではなく「スポーツを愛する」としたことだ。これからはサッカーが先頭に立ち、この国のスポーツの姿そのものを変えていくよ、との野心的かつ建設的なメッセージが込められていた。

 

 この時、川淵56歳。来年夏は84歳。オリンピアンでもある「ムラオサ」には大仕事が残っている。

 

<この原稿は20年8月26日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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