新型コロナウイルスの影響により、今夏の全国高校野球選手権大会は中止となりました。


 夏の甲子園が中止になるのは79年ぶり、春夏揃って中止になるのは史上初です。各都道府県の高野連は夏の地方大会に代わる独自大会を開催し、また甲子園では中止になった今春のセンバツ出場校を招待した甲子園高校野球交流試合が8月10~12日、15~17日の6日間、行われました。大会後、出場した選手の声を朝日新聞はこう伝えました。

 

<花咲徳栄(埼玉)の井上朋也主将は「甲子園はほかの球場とはやっぱり違う。自分たちを大きく成長させてくれる場所」。><天理(奈良)の下林源太主将はグラウンドに入った際、球場の雰囲気に圧倒された。「最初は声も出せなかった。こういう大舞台でも活躍できるように今後も取り組みたい」。><中京大中京(愛知)の印出太一主将は「テレビ越しで見ていた最高の舞台で、最高の相手と最高の仲間と試合ができて良い経験になった。悔いなく最高の終わり方ができた」と話した。>(朝日新聞デジタル2020年8月18日配信)

 

 どの球児にとってもやはり甲子園という場所は特別のようですが、それは今も昔も変わりません。これまでスポーツコミュニケーションズ編集長の二宮清純が取材してきたプロ野球選手も「甲子園は特別」と口にしています。中でもその思いを強く感じたのが、報徳学園(兵庫)出身の金村義明さん(近鉄など)です。

 

 1981年夏の優勝投手である金村さんは、兵庫県大会7試合、甲子園6試合をひとりで投げ抜きました。地方大会から甲子園決勝までひとりで投げ抜いたピッチャーは戦後、48年の優勝投手・小倉(福岡)の福嶋一雄投手と金村さんだけです。

 

 エース金村さん擁する報徳学園は、1回戦・盛岡工戦を9対0で勝利し、2回戦の相手は前年優勝の横浜(神奈川)。「ここで負けると思っていた」という金村さんですが、2本塁打を放ち4対1で勝利しました。まさにエースで4番です。3回戦は当時のアイドル荒木大輔投手擁する早稲田実業(東京)を相手に延長10回、サヨナラ勝ちしました。

 

 準々決勝は今治西(愛媛)、準決勝は工藤公康投手(現福岡ソフトバンク監督)がエースの名古屋電気(愛知)を下して決勝にコマを進めました。決勝は京都商と対戦し、2対0の完封勝ち。悲願の全国制覇を達成しました。

 

「僕は甲子園を最後にピッチャーを辞めようと思っていましたから、最後はピッチャーとしての意地でした。3球ともアウトローの真っすぐで3球三振です。終わってみれば、ちょうど100球で完封勝利。そんなこと、狙ってもできませんよ。その意味であの完封は僕のピッチャーとしての集大成やったと思っています」

 

 それにしても、報徳学園ほどの名門ならば金村さん以外にも控えピッチャーもいたはずです。
「もちろん、いました。でも僕は最後の甲子園に賭けていた。だから県大会とはいえ、誰にもマウンドを譲りたくなかった。甲子園の優勝から20何年かたって控えピッチャーに“オマエさ、1回くらいは甲子園のマウンドに立ちたかったやろうなァ。でも、もしオマエが投げて負けていたら、生かしておかんかったでぇ”と言うと、“いやぁ、ホンマに投げんでよかった”と笑っていましたよ」

 

 金村さんには負けられない理由がありました。
「小さい頃から地元の名門・報徳のユニホームに憧れ、夢は甲子園での優勝投手、そしてプロ野球選手になることでした。阪急沿線で育った僕にとって、高台に建つブレーブスの選手の豪邸が憧れでした。特に4番の長池徳二さんの豪邸はスゴかった。長池さんに憧れたんじゃないんです。長池さんの家に憧れたていたんですよ(笑)。そのためにも甲子園優勝は絶対でした。優勝した瞬間は、もう天にも昇る気持ちで、ひとりで飛び跳ねていました。普通はキャッチャーと抱き合ったりするのに。ワンマンだったんでしょう」

 

 昨年、日本高校野球連盟は高校野球の球数制限について「1週間で500球」とのガイドラインを設けました。今夏の交流試合でも、都道府県の独自大会を含め、この投球数制限が適用されています。地方大会から甲子園決勝まで投げぬいた金村さんのような"鉄腕"は今後、見られなくなりそうです。

 

「自分たちがやっていたから、という理由で今の子たちにそれ(連投)を押し付けることはできません。今は時代も違えば、気温などの環境も異なっていますからね」

 

 甲子園優勝投手の言葉が胸に響きます。

 

 

(文・まとめ/SC編集部・西崎)


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