きっとくる日本人対決が特別ではなくなる日
思索にふける秋。
前回の東京五輪が開催された年、阪神は優勝した。だから今年も同じことが起きると信じていたのが、そうか、五輪が延期になったからこんなことになったのか、美酒は来年にお預けか、と自分を慰めた高橋ノックアウトの夜。
大坂なおみの全米テニス優勝にも考えさせられた。試合ごとにつけた計7枚のマスク。素晴らしく勇気のある行為だったと思うし、全面的に支持もしたい。
ただ、自分が大会を運営する側、競技を統括する側だったら。「黒人の命も大切だ」というスローガンが認められるのであれば、どこかの誰かが「ウルグル人の命も大切だ」と訴えられたら? あるいは「パレスチナ人の命も大切だ」は?
68年のメキシコ五輪でも、数年前のNFLでも、絶対に間違ってはいない人権を訴える行為は、運営側によって叩き潰された。ひどい、最低――と反発してきたけれど、きっと、責任ある立場の人たちは、ひとつを許したらすべてがOKになってしまうことを恐れたのかも。
差別なんてない方がいいに決まっている。これは政治の問題ではない、あくまでも人権の問題だ、とも思う。それでも、国や地域によっては、人権は国のあり方、政治のあり方と密接に関係してしまっている。
メッセージを認めることは、だから、スポーツが国や資金力と対決することにつながりかねない。そういう意味では、大坂さんの勇気ある行為は、スポーツ界のパンドラの箱を開けたのかもしれない。この先、どんなに話がこじれても、最後に希望が残っていればいいのだけれど。
スペインではリーガが開幕した。初戦ではいきなり岡崎と久保の日本人対決が実現……と話題になった。ちょっと嬉しくて、ちょっと残念。
わたしの記憶が正しければ、欧州で初めて日本人対決が実現したのは、ブンデスリーガのブレーメン対ビーレフェルト。奥寺康彦対尾崎加寿夫だった。
専門誌で紹介された試合の特集、食い入るように見た。当時の、数少ないサッカーマニアにとって、欧州での日本人対決は夢の夢のまた夢の出来事だった。
それが、W杯はおろか五輪にも出られない国の現実だった。
仮に、ブラジルの選手が欧州で対決したとして、それがトピックになるだろうか。ドイツ人が、スペイン人が、他の国で対決したら? サッカー選手を語る前提が国籍になってしまうのは、弱小国の証明なのかも。
日本だけの話ではない。
スペインでプレーしている、というだけで、ウーゴ・サンチェスはメキシコの大スターだった。それぐらい、当時のメキシコとスペインの立場は違っていた。
いまは違う。メキシコ人がどこでプレーしようが、メキシコ人同士が対決しようが、きっと、メキシコ人は騒がない。メジャーリーグでの日本人対決が、以前ほどバリューを持たなくなったように。
きっと、あと何年かすれば、久保がどんな日本人と対決しても、話題にならない日がきっとくる。ただ、今はまだ違う。それだけの話。
それにしても、やっぱり彼は特別かも。
<この原稿は20年9月17日付「スポーツニッポン」に掲載されています>