(写真:関内駅から徒歩5分。収容人数は5000人だ)

 プロレス、ボクシングのビッグイベントが数多く開催されてきた横浜文化体育館が先月6日、58年の歴史に幕を下ろした。

 

 1962年5月に開館した同体育館は、プロレス会場のイメージが強い。力道山時代から日本プロレスの興行が開かれ、その後も多くの団体がリングを設置し続けてきた。

 

 もちろん、プロレスのためにつくられた体育館ではなく、64年東京五輪・バレーボール競技の会場でもあり、米国のショーバスケットボール「ハーレム・グローブトロッターズ」の公演が行われたこともある。横浜市民のみならず、多くの人から愛され続けた。

 

『週刊ゴング』の記者だった昭和の時代から幾度となく足を運んだ。

 JR関内駅から歩いて向かう。

 静かにたたずむ横浜文体が見えると、いつもワクワク感を抱いたものだ。

 

 もっとも記憶に深く残っているのは、2003年5月18日、パンクラスの大会か。メインイベントで『ライトヘビー級キング・オブ・パンラクシスト』を賭けて菊田早苗と近藤有己が対戦。両者譲らぬ激闘の末、結果はドローに終わった。会場は超満員、決着つかずも尋常ならぬ盛り上がりを見せていたことを思い出す。

 

 ボクシングの世界戦も多く行われている。

 

 古くは1974年10月18日のWBA世界フライ級タイトルマッチ、チャチャイ・チオノイ(タイ)vs.花形進(横浜協栄)。

 巨人軍の長嶋茂雄引退試合の4日後に行われたこの一戦で花形は6ラウンドTKO勝利を収め、日本人として13人目の世界チャンピオンとなった。

 

 新アリーナは2024年完成予定

 

(写真:60年近い歴史の中で数々の熱狂を生んできた)

 その後、ヨネクラジムの川島敦志、川嶋勝重が世界のベルトを賭けて闘い、記憶に新しいところでは2017年12月30日に、井上尚弥も横浜文体のリングに登場している。

 

 この当時はWBO世界スーパーフライ級王者であった井上は、フランスからの刺客ヨアン・ボワイヨに3ラウンドTKO勝利。これで7度目の防衛を果たし、その後、王座を返上。バンタム級へ転向した。

 

 さて、横浜文体における私にとってのもっとも印象深いボクシングファイト……それは、1989年4月8日に行われたカオサイ・ギャラクシー(タイ)vs.松村謙二(JA加古川)である。

 タイの英雄カオサイは、WBA世界ジュニアバンタム(現スーパーフライ)級の“絶対王者”だった。そんな強敵に松村が真っ向勝負を挑む。

 

 誰もが早いラウンドでのカオサイのKO勝ちを予想したが、松村が善戦する。ダウンこそ奪われたものの最終ラウンド終了のゴングを聞いた。

 カオサイが王座10度目の防衛を果たすも、客席からは「松村、よく頑張ったぞ!」の声が多く飛ぶ。

 時代が平成に移ったばかり、日本ボクシング界 “冬の時代”真っ只中での名勝負だった。

 

 横浜文化体育館は、もう私たちの記憶の中にしか存在しない。

 だが、この後、同じ場所に横浜ユナイテッドアリーナが建設される。2024年完成予定だ。

 新アリーナのこけら落としが、世界のスーパースターの地位にあるであろう井上尚弥の世界戦であれば嬉しい。

 

近藤隆夫(こんどう・たかお)

1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実 ~すべては敬愛するエリオのために~』(文春文庫PLUS)『情熱のサイドスロー ~小林繁物語~』(竹書房)『キミはもっと速く走れる!』『ジャッキー・ロビンソン ~人種差別をのりこえたメジャーリーガー~』『キミも速く走れる!―ヒミツの特訓』(いずれも汐文社)ほか多数。最新刊は『プロレスが死んだ日。』(集英社インターナショナル)。

連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)


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