甘い言葉にはトゲがある――。日本のことわざかと思いきや、どうも英国由来のものらしい。<There is no rose without a thorn>。トゲのないバラはない。すなわち完全な幸福はない。一説によると、やがて意訳は「きれいなバラにはトゲがある」となり、「うまい話には気をつけろ」という戒めの言葉に転じたのだという。

 

 さる15日に来日し、18日に帰国したIOCトーマス・バッハ会長は来年夏、東京五輪・パラリンピックにやってくる海外選手のワクチン接種を推奨し、そのための費用をIOCが負担すると明言した。

 

 一見ありがたい話のように思えるが、ある組織委員会幹部は首を横に振る。「あまりワクチンを強調されると、間に合わなかった場合、どうなるのか。それにワクチンには副作用のリスクもある」。前のめりの発言は、逆にありがた迷惑だというのだ。

 

 もうひとつ、「私たちは日本の側に立っている」とのバッハ発言も気になった。耳馴染みのいい言葉だが、ちょっと待て。五輪の主催者はあくまでもIOCであり、東京大会を強行することだって中止にすることだってできる。東京都とJOCは開催都市契約を結んでいるパートナーに過ぎず、生殺与奪の権はIOCが握っている。そうしたことを踏まえれば「日本の側に立っている」との発言は無責任だ。IOCはいつから東京大会のオブザーバーになったのか。

 

 WHOとの関係も未だに不明確だ。この5月、IOCはWHOと健康・スポーツ分野で連携を図っていくことで合意し、東京五輪・パラリンピックの開催可否は「WHOの勧告に従う」と表明した。これは以前にも述べたが、やむなく中止に追い込まれた場合、中止保険に入っているとはいえ、全額が補償されるわけではない。WHOの「勧告」を錦の御旗にリスクヘッジを図ろうとしているようにも映る。

 

 よく言えば用意周到、悪く言えば怜悧狡猾。その巧みな交渉術には舌を巻かざるを得ない。甘い言葉にはトゲどころか罠の匂いまでしてくる。

 

 不平等条約下、日本側の交渉には自ずと限界があろう。願わくば、いずれIOCとの交渉の記録を全て公開して欲しい。それは外交を含め、後々の国益につながるはずだ。苦難の記録、それもまたレガシーである。

 

<この原稿は20年11月25日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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