プロ野球シーズンも終わりに近づくと、スポーツメディアの話題はベテラン選手たちの去就に移る。

 

 

 大物としては福岡ソフトバンクの内川聖一、阪神の福留孝介が戦力外通告を受けたものの、現役続行を明言している。

 

 内川38歳、福留43歳。残された野球人生はそう長くはない。だが、あと1、2年なら主力として勝負できるだろう。

 

 戦力としてはもちろんのこと、それ以上に“買い”なのが、彼らの経験だ。

 

 毎日・大毎、阪神でプレーし、2度のホームラン王と4度の打点王に輝いた実績を持つ「打撃の職人」山内一弘が広島にやってきたのは1968年、35歳の時だ。引退年齢が低かった時代の35歳と言えば、今の40歳に相当する。

 

 山内は最後の力を振り絞って全試合に出場し、打率3割1分3厘、21本塁打、69打点の成績を残す。打率は王貞治、長嶋茂雄に次ぐリーグ3位だった。この山内の活躍もあり、広島は球団史上初のAクラス(3位)入りを果たしたのである。

 

 翌年、法大から入団した山本浩二は、「山内さんは生きた教科書だった」と語っている。練習方法から打撃技術に至るまで、多くのことを学んだという。これは若手の衣笠祥雄や水谷実雄も同様だった。1975年の初優勝は、彼らが主力となって成し遂げたものだった。

 

 巨人を自由契約になった落合博満が日本ハムにやってきたのは1997年、43歳の時だ。この時のルーキーが、現在、同球団の一軍ヘッド兼打撃コーチを務める小笠原道大である。

 

 小笠原は落合から何を学んだのか。

「間の取り方です。落合さんは構えてから打ちに行くまでがゆったりしている。要するに、それだけボールを長く見ているということ。これは勉強になりました」

 

 無愛想な先輩であっても、小笠原にとっては“生きた教材”だったのだ。要は経験値という名の付加価値を球団がどう評価するかだ。これに尽きる。

 

<この原稿は2020年11月23日号『週刊大衆』に掲載されたものです>

 


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