「プロ野球の監督は大臣になるより難しいんや」

 

 

 この2月に84歳で他界した野村克也は、口ぐせのように、そう語っていた。

 

 ちなみに菅義偉内閣の大臣は、菅総理含めて21人。12人しかいないプロ野球(NPB)の監督に比べれば、確かに“広き門”だ。

 

 横浜DeNAの来季監督に“ハマの番長”こと三浦大輔2軍監督が就任した。就任会見ではトレードマークのリーゼントを、ばっちりと決めた。

 

 少年時代にエルビス・プレスリーや矢沢永吉に憧れたのが、髪型をリーゼントにするきっかけだが、理由はそれだけではない。

 

「ある時、街を歩いていると小さな女の子からも“番長”と声をかけられたんです。あっ、そこまで知れ渡っているんだったら、これを利用しない手はないと……」

 

 三浦はドラフト6位の入団である。6位といえば、雑草だ。目立たなければ、コーチから声もかけられない。

 

 ニワトリのトサカのような頭は「オレはここにいるぞ!」との無言のアピールでもあったのだ。

 

 25年間に及ぶ現役生活で、三浦が最も頭を悩ませたのが2008年のオフである。この年までに三浦は124勝を挙げていた。2ケタ勝ったシーズンは実に6回。FAを宣言した三浦を、最も熱心に口説いたのが阪神だった。

 

 奈良県出身の三浦は、元々が阪神ファン。加えて「野球人生の最後の方は生まれ故郷の近くで野球をやりたい」との思いがあった。

 

 その一方で、甲子園にも出場したことのない自らを指名し、育ててくれた古巣への愛着もあった。

 

 出るか、残るか――。

 

 悩んだ末に、三浦は「残る」ことを決断する。

 

「自分の原点は何か。それは“強いものに負けたくない”という意地ではないか。高田商を選んだのは“天理には負けへん”という思いからだった。プロでは“巨人や阪神を倒したい”とやってきた」

 

 もし、あの時点で三浦が阪神に移籍していたら、46歳でDeNAの監督に就任することはなかっただろう。コーチ・2軍監督時代も含め横浜一筋27年。ファンにとっても「番長」は特別な存在だ。

 

 もちろん、監督になることが三浦のプロ野球人生の最終的な目標ではあるまい。「目指すのは優勝だけ」と本人。退路を断った以上、結果を出さなければ、単なる“言うだけ番長”に終わってしまう。

 

 幸いにして優勝を狙える戦力は整っている。ハマに23年ぶりの歓喜は訪れるのか。

 

<この原稿は2020年12月18日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>

 


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