コロナ禍において揺れに揺れたJリーグ。その中で、J1昇格1年目の横浜FCが見せているパスサッカーは見事である。横浜FCのそれは、早々と優勝を決めた川崎フロンターレのそれと引けを取らない。横浜FC会長の奥寺康彦は常々、「カウンターサッカーは日本人には不向き」と語っている。2年前の原稿で、日本人で初めてブンデスリーガでプレーしたレジェンドの金言を振り返ろう。
<この原稿は『ビッグコミックオリジナル』(小学館)2018年5月5日号に掲載されたものです>
「この4年間、何をしてきたんだよ、という感じだね」
横浜FC会長で、日本人として初めてブンデスリーガでプレーしたことで知られる奥寺康彦の言葉には怒気がこもっていた。
「これからチームづくり、という時期じゃないでしょう。監督は何をしたいのか見えないし、選手もどうしたらいいのかわからない。もう時間がないんだけどね」
2018年3月29日。ロシアW杯開幕まで、あと2カ月半。日本代表の前途には暗雲が立ち込めている。
奥寺が首をかしげたのは、ベルギーで3月に行われた国際親善試合での日本代表の戦いぶりだ。マリ代表に1対1で引き分け、ウクライナ代表には1対2で敗れた。両国ともW杯には出場しない国だ。
日本代表を率いるヴァイッド・ハリルホジッチは堅守速攻、タテに速いサッカーを志向する。手間ひまかけずに相手からボールを奪い取り、素早く攻める。いわゆる「リアクション・サッカー」だ。
指揮官は、日本がこれまで志向してきたボール保持重視の「ポゼッション・サッカー」に対しては極めて懐疑的だ。それはサッカー観の違いに起因するものだから仕方がない。だが、いっこうにリアクションの質が高まらないのは、どうしたことか。奥寺は言う。
「僕はリアクションは日本人には合わないと思う。しっかり守って2、3人でカウンター。やりたいことはわかるんだけど、それをやり切るには強さと速さを併せ持つ“個”がないとダメなんだ。
僕はポゼッションの方が合っていると思う。日本の選手はボールをつなぐことに慣れている。そうした特質を、監督にはもっと理解して欲しいよね」
奥寺が世界最高峰のリーグと呼ばれたブンデスリーガ(ドイツプロリーグ)の1.FCケルンに入団したのは1977年10月である。それまでは日本リーグの古河電工でプレーしていた。
ケルンでの合宿に日本代表の何人かが参加した。奥寺のプレーに目を輝かせたのがギュンター・ネッツァー、ベルティ・フォクツらドイツを代表する名選手を育てたケルン監督ヘネス・バイスバイラーである。指揮官は左のウイングを欲しがっていた。
とはいえ、その頃の日本にはプロリーグもなく、W杯出場など夢のまた夢という時代である。しかも、当時のブンデスリーガの外国人枠は2人。名門クラブのケルンが25歳の日本人にオファーを出したと聞いて驚かない者はいなかった。
事実、メディアとの間では以下のようなやり取りがあったという。
「どうしてアジア人なんだ? それも日本人なんだ?」
「いや、どの国の人間だろうがサッカー選手はサッカー選手だ」
「オクデラは活躍できるのか?」
「彼は本当にいいものを持っている。ウチにはもってこいの選手だ」
ケルンには4シーズン在籍し、15ゴールを記録した。77~78シーズンにはリーグ戦とカップ戦の2冠に貢献した。マイスターシャーレ(リーガ優勝チームに授与される優勝プレート)を抱いた初めての日本人にもなった。
奥寺にとって忘れられないゴールがある。1979年4月、ノッティンガム・フォレストの本拠地で行われたUEFAチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)準決勝での値千金の同点ゴールだ。
奥寺によると、後半残り15分くらいの時点でピッチに送り出された。得点は2対3と敗色濃厚だ。
ケルンは自陣内で与えたFKのピンチから一転、カウンターを仕掛ける。奥寺は自陣から猛然とダッシュ。そのまま敵陣ペナルティーアーク付近にポジションを取る。右サイドからのパスを左足でトラップ。ひとりかわすと、右足でミドルシュート。ボールはGKの脇をすり抜け、ゴールネットを揺らした。
喜びのあまりジャンプし、仲間と抱き合う奥寺。ヒーロー目がけて全員が飛びつき、喜びを分かち合う。試合終了のホイッスルが鳴り響いたのはその直後だった。
「ワントラップしてシュート。計算通り。本当は左隅を狙ったんだけど、ちょっとGKに近かったかな。GKはイングランド代表のピーター・シルトン。彼は“捕れた”と思ったんじゃない。随分、悔しがっていたもの」
このゴールはチャンピオンズリーグ史上、日本人初。2人目となる中村俊輔(当時セルティック)まで、実に27年の歳月を要した。
奥寺はその後、ヘルタ・ベルリンを経て、ヴェルダー・ブレーメンに移籍。オットー・レーハーゲル監督から「ひとりで3人分の働きをしてくれる」と評価された。
ポジションもGK以外、全てこなした。監督からすれば、これほど頼りになる選手はいない。
現在、ブンデスリーガでプレーする選手は1部、2部含めて14人。香川真司(ドルトムント)、長谷部誠(フランクフルト)、大迫勇也(ケルン)らが代表格だ。
昨年11月には、ドイツでの功績が認められ、日本人として初めて「ブンデスリーガ・レジェンド」に選ばれた。
それだけに06年、ドイツで開催されたW杯には胸が熱くなったという。
「ベルリンの壁が崩壊したのが1989年。東西の統一後、初めてのW杯。僕は9年間ドイツにいたけど、あんなお祭り騒ぎは初めて見た。国自体がひとつになった喜びを誰もが感じたんじゃないかな」
取材からわずか10日後、ハリルホジッチ監督電撃解任の知らせが飛び込んできた。日本のサッカーがこれを機にどのように変化を見せるのか、注目してゆきたい。
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