長期にわたって日本を空ける時、僕は数日ごとにインターネットに接続して、メールを受け取ることにしていた。宿に荷物を置くと、ノートパソコンを持って電話局に向かった。
(写真:デポルの優勝決定後、スタジアムに観衆がなだれ込む)


 この当時、ホテルの電話はパソコンを受けつけない場合が多かった。一番確実なのが、電話局の長距離用電話を掛ける場所で、電話線を抜いてパソコンに繋げることだった。
 バックパックを背負って南米大陸を放浪していた時は、インターネットに対する理解がなかったため、電話局の人間に何をやっているのかとしばしば怪しまれた(回線は状態が悪く、たびたび切れてしまう。何度もかけ直さなければならなかった)。スペインもインターネット環境が整備されているとは言えなかったが、パソコンをつなぐことには理解があった。

(写真:選手のバスがスタジアムに到着) インターネットに接続してみると、いくつかメールが届いていた。その中の一つに、僕が待ち望んでいたものがあった。南米大陸を旅した時のことを書いた原稿を持ち込んでいる出版社の担当者からのメールだった。
 出版を検討するとは言われていたが、確約を得ていなかった。日本に戻ったら、原稿に手を入れたい、その打合せをしたいと思っていたのだ。

 急いでメールを開いてみると、そこにはお詫びの言葉が書かれていた。企画を上層部に上げたが通らなかったという。僕は、目の前が真っ暗になった。自分の原稿は売るに耐えないのだろうか。自分の全てを否定されたような気持ちだった。

 自分の中では最初に旅の本を出して、その後は何かテーマを探していけばいいと思っていた。その最初の一歩が白紙になってしまった。帰国した後、どうすればいいのか。何を書いていけばいいのか。確かにサッカーは好きだが、どうしても書きたいと思う題材でもなかった。

 悪いことは続くものだ。
 ラコルーニャの中心地にあるデポルティーボの事務所に行ってみると、僕の取材申請は通っていなかった。
「メディア用の申請が数多く来ている。その全てにパスを出すことはできない」
 事務所の男は仕方がないという表情で言った。
「わざわざこの試合を見るために来たんだよ」
 僕の言葉に、男は無言で首を横に振った。

(写真:試合前、一緒に見に行った留学生と) 宿に戻ると、一人のサッカー留学生が「今日は見に行くんですよね」と声を掛けてきた。
「そのつもりだったんだけど、パスが出なかったんだ」
 僕が答えると、彼は「スタジアムの近くに行けば、即席のダフ屋が出ていますよ」と言った。
 聞くと彼も知人からチケットを譲り受けたという。今まで、僕はJリーグの試合は取材申請で入っていた。他の競技もプレスとして入っている。チケットを買って入ったことはほとんどなかった。

「スタジアムの雰囲気を感じたいんで、僕もそろそろ行きます。もし必要ならば、手伝いますよ」
 僕は財布を開いて、手持ちのお金を確認してから彼と一緒にスタジアムに向かうことにした。

 デポルティーボの本拠地リアソルは海岸沿いにある。試合開始まで時間はあったが、スタジアムから海岸にかけての道は大勢の人で埋まっていた。その多くは青と白の縦縞のデポルティーボのユニフォームを着ていた。

「チケット、あるよ」
 15、6才と思しき少年が声を掛けてきた。
「いくら?」
「4万ペセタ」
 日本円で3万円以上になる。

「ちょっと高い」
 僕は首を振って通り過ぎると、後ろから「3万でどう?」という声が聞こえた。この調子ならば、まだまだ下がりそうだった。
 彼らの多くは年間シートを購入していて、最終戦である今回の試合のチケットを持っていた。年間シートの会員証ごと売るという男もいた。
 
 街角のバールにはユニフォームを着た男たちが集まり、ビールを片手に気勢を上げていた。僕は人混みをかき分けて、バールの中に入り、ビールを頼んだ。空は青く、ビールの味が身体に染み渡った。
 
(写真:白と青の紙でスタジアムを塗りつくす) 結局、僕は何人かと交渉して、「1万ペセタ」でチケットを入手した。僕が手に入れたのはゴール裏の席だった。スタジアムに入る時に白い紙が渡された。試合開始前、指示に従って、その白い紙を上に掲げた。青と白というデポルティーボのチームカラーでスタジアム全体に人文字で縦縞模様を作っていた。

 選手が入ってくると、観客席からは大きな歓声が上がった。キーパーのソンゴをはじめ、マニュエル・パブロ、ロメロ、ナイベト、ドナト、マウロ・シルバ、マッカーイ、ジャウミーニャ、ジョカノビッチ、ビクトル、そしてフラン。スタジアム全体が唸っているようだった。

 過去には、マドリッドでラヨ・バジェカーノと対戦した時の試合を見たことがあった。中盤で短いパスをつなぎ、サイドに開いてから中央に折り返して得点を狙う。チーム全体が、どのように攻めるのか共通理解を持った簡潔で理路整然としたサッカー。その中で、ブラジル人のジャウミーニャという天才が、独特のアクセントをつけていた。非常に効率的でモダンなサッカーであるという印象を受けていた。

 この日もそのサッカーは変わらなかった。試合が開始してすぐコーナーキックからのボールをドナトが頭で合わせて得点。その瞬間、スタジアムの全員が立ち上がって、両手を挙げた。紙吹雪が上空に舞った。
 前半34分にもマッカーイがゴールを挙げて、勝利を決定づけた。試合は終始、デポルが支配し、危なげない試合運びだった。

(写真:試合終了後、デポルの優勝を祝う観客で満たされたピッチ) 試合終了の笛が鳴ると、観客は立ち上がり、前に押しかけた。最前列の人間は柵を乗り越えて、次々とピッチになだれ込んだ。
 日本ならばピッチに入れば、警官に捕まるだろう。どうなるのかと見ていると、止められるどころか、ピッチの中に入る観客は増えていた。選手のところに駆け寄り、身につけていたユニフォームなどをもらおうとしているようだった。

 僕も人ごみの流れに乗って、柵を登り、ピッチに入った。ピッチの上には紙吹雪の紙片が散らばっていた。観客は大声を上げ、泣き叫んでいる男もいた。

 僕はデポルティーボの熱心なサポーターではない。そんな僕でも愉快になっていた。
 これだけ人を熱狂させるサッカーを書くのも悪くない。芝生に寝ころんで抱き合っている人たちを見ながら思ったのだった。

(終わり)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入る。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。08年3月11日に待望の新刊本『楽天が巨人に勝つ日―スポーツビジネス下克上―』(学研新書)が発売された。


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