もう十分すぎるほど書いたつもりになっていたら、また依頼がきた(ありがたいことなんですけどね)。マラドーナについて、である。

 

 神の手や5人抜きについては、もうあちこちで散々取り上げられている。マラドーナという存在の社会的、歴史的意義についても、偉いセンセー方が見事な分析をなさっている。では今回はどこを切り口にするか。そうだ、79年のワールドユースにしよう……ということで、画質の悪い41年前の映像とにらめっこする毎日が続いている。

 

 これが驚くことばかりで。

 

 たとえば国立の芝生。ひどい。ひどすぎる。FC琉球のスーパーバイザーをしていたころ、沖縄の芝生のひどさに呆れたことがあったが、79年当時の国立を見た直後であれば、一も二もなく絶賛していたことだろう。とにかくでこぼこで、およそサッカーをやるピッチではない。

 

 しかも、現代の感覚からすると悪夢のような芝生を、日本ユース代表としてこの大会に参加した水沼貴史さんは「ふかふかで素晴らしいと思った記憶がある」という。日本サッカーを取り巻く環境がいかに貧しかったのか、痛感させられた。

 

 NHKの中継にも驚かされた。アルゼンチン対ソ連の決勝戦。放送が始まったのは前半の30分あたりからだった。キックオフは午後7時、おそらくはNHKのニュースが終わってからの放送開始だったのだろう。そのことについて誰かが苦情を言っていた記憶はないし、わたし自身、何とも思っていなかった。驚くしかない。

 

 前年のW杯で世界王者となり、名将の名をほしいままにしていたメノッティ監督が40歳だったことにも驚いた。そのメノッティがベンチから指示を送ったら、解説の岡野俊一郎さんが笑いながら「これはいけませんねえ」とたしなめたのにも驚いた。そうだった。かつてサッカーでは、試合中に監督が指示を送るのは禁止されていたのだった。

 

 サッカーの質についても驚かされた。とにかく荒い。現代の感覚でいけば一発レッド、それもやられた側が激昂すること間違いなしの悪質極まりないタックルが、割と普通に飛び交っている。というか、やった側にもやられた側にも、それが許されざる行為であるという感覚がほとんどない。

 

 試合自体のクオリティーにも驚かされた。高くない。優勝したアルゼンチンでさえ、高くない。ただ、考えてみればそれも当然で、このころは、まだ戦術的な落とし込みとか、対戦相手の映像を分析しての対策とかが、まったくとられていない時代だった。選手たちは、手さぐりのまま未知の相手と対戦し、模索しながら勝ち目を探していった時代だった。

 

 映像を観ながらサッカーと時代の進化、変化にしみじみしていたら、思わぬニュースが飛び込んできた。

 

 欧州CLのパリSG対イスタンブールBBSKの一戦で、ルーマニア人審判が人種差別的な発言をしたという。選手やファンならいざ知らず、社会的地位が高く、語学にも堪能な方が多い審判がこういう事件を起こすとは。

 

 人種差別はアウト。もう十分すぎるほど、その認識は世界中に広がっていると思っていたのだが……どうやら、サッカー界にもまだまだ進化しきれていない部分はあるようで。

 

<この原稿は20年12月10日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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