無観客の欧州サッカーからアジアマネーが去ったら……
高校サッカーの人気が、日本リーグを大きく上回っていた時期があった。
あれはいったい、なぜだったのだろう。
閑古鳥の鳴くスタジアムでプレーしていた選手の中には、ラモスや木村和司もいた。にもかかわらず、日本一を決める天皇杯の決勝でさえ、高校サッカーの準決勝に集客で及ばないのが現実だった。
サッカーの質が低かったからか? そんなことはない。徹底して個人技を重視した読売のサッカーは素晴らしく刺激的だったし、それに対抗すべく若い才能を集めた日産との対決は、ちょっとした“クラシコ”の趣さえあった。
ただ、その魅力が伝わったのは、マニアだけだった。いや、改めて振り返ってみると、マニアの一人だったわたしでさえ、日本リーグの決勝よりは高校サッカー決勝の方が楽しみだった。
大人の試合にはなくて、高校サッカーにはあったもの――それは満員のスタンドだった。
大阪で開催されていたころはそうでもなかったようだから、高校サッカーの隆盛が、首都圏開催と日本テレビによる中継数の増加と密接な関係にあることは間違いない。特に、最初の首都圏開催となった決勝で浦和南と静岡学園が5-4という伝説的な名勝負を演じたことで、高校サッカーの魅力は一気に広まった。
専門誌か、週に1度のダイヤモンドサッカーか、4年に1度のW杯でないと目にすることのできない満員のスタジアムが、高校サッカーにはある。わたしに関する限り、満員のスタジアムの魅力は、サッカーのレベルを補って余りあった。
だからなのか、代表などで満員が当たり前になった今、以前ほどには高校サッカーに魅力を感じなくなった自分がいる。そして今年のわたしは、人生でもっとも、海外サッカーに魅力を感じなくなっている。
やっているサッカーの質は、依然として高い。「まだまだJのチームでは歯が立たないかも」と痛感させられるチームもある。だが、満員の高校サッカーの方が、ガラガラの日本リーグよりも楽しみだった人間からすると、無観客の欧州サッカーは、曲がりなりにも生の声援が伝わってくるJリーグの魅力に遠く及ばない。
21世紀に入ってからの欧州サッカーが経済的に巨大化した理由の一つに、アジアから入ってくる莫大な放送権がある。ではなぜ、アジアの人々は欧州のサッカーを見るためにお金を惜しまなかったのか。
わたしのように、自分たちの国では体感できない、熱狂する満員のスタジアムを見たかったから、だったとすると――。
視聴習慣は、途絶えかねない。
GDPで日本に遠く及ばない欧州の諸国が、Jリーグをはるかに上回る資金力を持ったのは、資金源を多国籍にしたから、だった。自国以外のファンがリーグを見るようになったから、だった。
欧州サッカーが経済発展著しいアジアに着目したのは、まさに英断だった。だが、アジアを利用するつもりだったかもしれない彼らは、いま、アジアに運命を握られつつある。アジアが去れば、欧州サッカーの経済力は20世紀に逆戻りする。それだけは、間違いない。
<この原稿は20年12月3日付「スポーツニッポン」に掲載されています>