広島でキャッチャーとして3度のベストナインに輝く達川光男は高校時代、広島商の選手として高3の春と夏、2度甲子園に出場している。春は準優勝、夏は優勝。同期には作新学院(栃木)の江川卓がいた。

 

 

 江川擁する作新学院と広島商が対決したのは1973年春の準決勝だ。結論から言えば、広島商が2対1で逆転勝ちを収めるのだが、広島商が放ったヒットは、わずかに2本。三振は11個も奪われた。江川がこの大会4試合で奪った三振は実に60個。これは今でもセンバツ一大会最多記録である。

 

 試合前、広島商の迫田穆成監督は選手たちにホームベース寄りに立つよう命じた。どう逆立ちしたところで高めの速いボールは打てない。「比較的威力が落ちる外角低めのストレートを狙え」との指示だった。

 

 それを聞いて達川は訊ねた。

「監督、もし江川のボールが頭に当たったら、どうなりますか」

 

 間髪いれずに迫田は答えた。

「そりゃ、死ぬじゃろうな」

 

 その話を江川に振ると、意外な答えが返ってきた。

「実はあの試合、僕は首を痛めていて本調子じゃなかったんです」

 

 調べてみると、コントロールに定評のある江川が8個も四球を与えていた。

「前日、雨で試合が順延になり、報道陣がうるさいので、食堂の横のソファーで横になっていた。短いソファーだったため、頭がはみ出してしまい、首を痛めてしまったんです。起きると首が全然、廻らない。だから試合中は一塁への牽制もできなかったんです」

 

 それがきっかけで、マットレスや枕の重要性に気付いたと江川は語っていた。

 

 最近のルーキーはしっかりしている。阪神の佐藤輝明、北海道日本ハムの伊藤大海、東北楽天の早川隆久らドラフト1位ルーキーたちは揃って寝違い予防のマットレスを入寮に際し、持ち込んだというのである。

 

 備えあれば憂いなし――。将来の成功を約束するような立派な心構えである。

 

<この原稿は2021年2月1日号『週刊大衆』に掲載されたものです>

 


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