93歳での旅立ちだから、日本風に言えば大往生だろう。

 

 

 ロサンゼルス・ドジャースで21シーズンにわたって監督を務めたトミー・ラソーダが1月7日(日本時間8日)、心臓発作によりロサンゼルス近郊の病院で息を引き取った。

「オレの体にはドジャーブルーの血が流れている」

 

 とのセリフで有名な故人だが、現役時代、前身のブルックリン・ドジャースでの活躍は皆無に等しい。1954年から55年にかけてピッチャーとして8試合に登板しただけだ。勝ち星はひとつもない。移籍したカンザスシティ・アスレチックスでも芽が出ず、メジャーリーグでの通算成績は0勝4敗、防御率も6.48とパッとしない。

 

 ラソーダの野球人としての才能が開花したのは指導者になってからだ。ドジャース傘下のチームで手腕を発揮し、やがてポスト・フィールドマネジャー(次期監督候補)と言われるドジャースのサードベースコーチに就任。名将ウォルター・オルストンの下で修業を積み、76年に監督に。以来、計21シーズンでワールドシリーズ優勝2回、リーグ優勝4回を達成した。

 

 日本人には「ヒデオ・ノモのボス」として馴染みが深い。

 

 95年、近鉄を任意引退した野茂英雄はかねてからの夢であるメジャーリーグに挑戦するためドジャースと契約した。

 

 オファーのあったいくつかの球団の中からドジャースを選んだのはピーター・オマリー会長(当時)の「本当にキミが欲しいんだ」の一言だった。

 

 続けてオマリーは言った。

「日本での地位を捨ててまでメジャーリーグでやってみたいというキミの勇気を称えたい。僕はキミのような青年が好きなんだ」

 

 監督のラソーダもフレンドリーだった。

「グレート・マイ・サン」

 野茂が活躍すると、こう叫びながら報道陣の前で大げさに抱き合った。

 

 逆に不調な時は、こう声をかけた。

「悩みごとでもあるのか。困っていることがあったら、いつでもオレに相談してくれ。パスタをつくって待ってるぞ」

 

 イタリア系のラソーダはパスタ料理が得意だった。

「オレたちはファミリーだ。何か助けてあげられることがあったら、助けてあげたい。オレはキミたちのマネジャーなんだ。グラウンドを管理するだけじゃなく、私生活でも力になりたいんだ」

 

 統率力でチームを掌握するのではなく、サーバント・リーダー(奉仕型リーダー)タイプの指揮官だったと言えよう。

 

 私もドジャースタジアムで何度かインタビューしたことがあるが、「ナガシマ(長嶋茂雄)は元気か? ホシノ(星野仙一)はどうしてる?」と常に日本の“友人”たちのことを気にしていた。

 

 野球の普及活動にも熱心で、2000年シドニー五輪ではメジャーリーガー抜きの米国代表を率い、金メダルに導いた。

「野球の面白さを、世界中に伝えたいんだ」

 

 古希を超えてなお、指揮を執る姿は、野球の伝道師そのものだった。

 

<この原稿は2021年1月31日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

 


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