実は結構似ていると思っていた。プロ野球のキャンプと五輪って。

 

 呼ぶ側と行く側。立場が弱いのは会場を提供する側。無理もない。招致に成功すれば、お金が落ちる。メディアでの露出が増える。リピーターも増える。地域振興を考えれば、是が非でも来てほしい。

 

 一方、呼ばれる側には選択肢がある。他のエリアからの売り込みもある。となれば、どうしたって「お願いする側」と「される側」という関係に陥りやすい。

 

 だから驚いた。

 

 先日27日、巨人が春季キャンプ地となる沖縄にPCRセンターを開設すると発表したからである。

 

 バッハ会長以下、IOC幹部の一連の発言を眺めていると、彼らの意識が依然として日本に「行ってやる」でしかないことがよくわかる。

 

 巨人は違った。彼らが考えたのは、沖縄に迷惑をかけないこと、だった。「行ってやる」とふんぞりかえっている人間からは絶対に出てこない、会場を提供してくれる側に寄り添った発想だった。あっぱれなんてものではない。というか、張本さん、この決断に超あっぱれをあげずにどうするんですか、と訴えたいほどだ。

 

 巨人が沖縄でキャンプを張るようになったのはそれほど昔のことではない。ただ、今回の決断によって、「やはり巨人は特別だ」という印象は沖縄の人々に強く刻まれたことだろう。いや、参りました。ペナントは阪神がいただきますけど。

 

 さて、先週の本欄で「非現実的な提案をしていかないとIOCの都合で押し切られる」と書いたところ、「ならばあなたの考える非現実的な提案は?」という質問をいただいた。

 

 わたしの考える「非現実的な提案」は、たとえば「五輪の2度開催」である。

 

 端的に言ってしまうと、あくまでもアスリートのために、たとえ不完全な形であっても予定通り大会は開催する。ただ、それは「東京五輪」ではなく、五輪的なもの、言ってみれば「スペシャル・オリンピック(特別五輪)」としての開催とする。その上で、何年後かに、完全な形としての東京五輪を開催するとの約束をIOCから取り付ける――。

 

 言うまでもなく、コロナが蔓延したのも、大会が延期になったのも、日本の責任ではまったくない。中止になったのは「東京大会」ではなく、「五輪」なのだ。

 

 にもかかわらず、無観客で開催して「はい、おしまい」では、日本だけが痛みを被り、歴代の開催都市が享受してきたメリットは皆無ということになってしまう。

 

 もちろん、2度開催にしろ、アンケートによればパリ市民の過半数が容認しているらしい大会スライドにしろ、現実となれば超えなければならない問題は数多ある。たとえば選手村。マンションとしての利用が予定されている以上、これ以上の延期は難しい。

 

 だが、商業五輪のきっかけになったとされるロス五輪は、選手村を新造しない大会でもあった。使われたのは大学の寮だった。

 

 昨年のロンドン、先月のフロリダと、民意かどうかはともかく、2年連続で代替開催をという声はあがった。乱暴な言い方をしてしまえば、時間とカネをかけなくても開催できる五輪もある、ということ。意識の片隅にはおいておきたい。

 

<この原稿は21年2月4日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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