2011年5月から約1年間、文藝春秋にて「プロ野球伝説の検証」という読み物を連載し、『プロ野球「衝撃の昭和史」』と改題して新書(文春新書)にまとめた。
 
 これは、これまでの仕事の中でも、最も楽しいもののひとつであった。まるで自らが野球探偵になったようで、次の締め切りがくるのが待ち遠しかった。
 
 伝説の中には事件も含まれる。ちょっとマニアック過ぎて連載には盛り込めなかったもののひとつに元広島の投手が起こした“鏡割り事件”がある。
 
 1979年6月5日、ナゴヤ球場での中日対広島戦。広島の先発・高橋里志は8回2死一、二塁でマウンドを江夏豊に譲るまで6安打2失点と好投していた。監督の古葉竹識からすれば当然の継投策だが、これが高橋は気にいらなかった。監督の信頼を一身に受ける江夏へのジェラシーもあったのだろう。
 
 マウンドを降り、ベンチ裏に消えた高橋は、素振り用のバットを手に取ると、怒りにまかせて大鏡に向けて振りおろした。ガッチャーン!「サトシが暴れていることは、その場を見なくてもわかったよ。あー、やっとるわって」とは捕手の水沼四郎。「あれはユタカと犬猿の仲やったからな。よっぽど助けてもらうのが嫌やったんやろう」。
 
 この事件には伏線があった。高橋と江夏。同級生だが格が違っていた。江夏が横綱なら、高橋は小結か。同じ南海からの移籍組ながら、江夏が阪神の元大エースであるのに対し、高橋は自由契約後に広島に拾われた身。そこから這い上がり、77年に最多勝に輝いたとはいえ、まだチームの顔ではない。
 
 それがなぜ、“犬猿の仲”に? 水沼が明かす。「ユタカが広島に入ってきた年の秋のキャンプ。湯布院に行くフェリーの中でオレと山本浩二、ユタカ、サトシの4人で雀卓を囲んだ。ところが、あることでもめ、サトシが卓を引っくり返した。あれ以来だよ。2人とも気が強いから最後まで口をきかんかったな」。
 
 2月に入り、事件について聞こうと何度か高橋に電話した。ケータイの着信音は鳴るのだが、誰も出ない。翌日も、また翌日も……。
 
 4日付の本紙に訃報が載った。<高橋里志氏死去 72歳肺がん>。先月末に亡くなっていた。昔、市民球場からの帰り、故人の経営するスナックによく足を運んだ。事件の真相について、もう少し詳しく聞きたかった。合掌。
 

<この原稿は21年2月10日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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