暑い。飛行機のタラップを降りたとき、要田勇一は思わず呟いた。太陽の光は暴力的で、日本よりも近くにあるのではないかと錯覚するほどだった。湿気を含んだ熱く、重い空気が躯にのし掛かってくるのを感じた。

 

 パラグアイのアスンシオン空港は、経由地のサンパウロと違い、一国の首都と思えないほど頼りなく、小さかった。他の乗客について、建物の中に入り、入国審査をくぐった。ここまでは順調だった。問題が起こったのはその後だ。

 

 預けていたスーツケースを引き取って、外に出ようとすると係官が、要田を指差して何か言った。しかし、全く聞き取れなかった。

 

 異国の地での戸惑い

 

 この連載ですでに触れたように、要田は3カ月、スペインの北部ガリシア州のラコルーニャでデポルティーボ・ラコルーニャの練習に参加している。滞在していた私立高校の寮では日本人留学生向けのスペイン語講座を受けていた。南米大陸のあるパラグアイはスペイン語圏である。熱心に受講していたとはいえないにしても、多少は分かるだろうと高をくくっていた。ところが、全く聞き取れないのだ。

 

 スペインで話されているスペイン語は、「R」で舌を巻く。一方、パラグアイのスペイン語は「R」で舌を巻かない。「R」を「H」と発音する隣国ブラジルで話されているポルトガル語に近い。抑揚があり、リズムカルなスペインのスペイン語と比べて、語尾が潰れがちで、ゆったりとしていた。

 

 係官はスーツケースを開けろと指示しているようだった。

「開けさせられて、警棒みたいなので全部、チェックされました。問題なかったので閉めろって(指示された)。荷物がパンパンで、詰めるときも苦労したんです。だから、(詰め直して)閉めるに閉められなかった。冬の日本を出て、向こうは夏じゃないですか。スーツケースを詰め直している間に、(着ていた衣服が)汗でびしゃびしゃになってしまった」

 

 なんとかスーツケースを詰め終わると、浅黒い顔色をした小柄で太った男が近寄ってきて、両手を出した。荷物を運ぶと言っていた。見知らぬ男にスーツケースを奪われてはならない。要田は首を強く振って、スーツケースを強く握りしめると、日本語で「お前、触んな」と声を出した。男は仕方がないという表情になり、ついて来いと手を振った。

 

 男に続いて、到着口に出ると、日本人らしい顔つきの男が待っていた。男は笑みを浮かべながら、「私、淵脇です」と挨拶した。流ちょうな日本語だった。

 

 現地で面倒を見てくれることになっていた淵脇隼人である。

 

 淵脇は要田が引きずっているスーツケースをちらりとみて、「あれっ、なんで荷物を渡さなかったんですか? 運んでくれるのに」と事も無げに言った。淵脇の元で働いている人間だったのだ。

 

 淵脇の車は、頑丈そうな印象のメルセデスベンツだった。エアコンが効いた車内に入り、柔らかな革の座席に腰を落としたとき、無事についたのだという安堵が湧いてきた。

 

 窓の外では、埃まみれの古い黄色のタクシー、様々な色で塗られたボンネット型バスが大きな体を揺らせて走っていた。信号で止まると、バケツとブラシを持った子どもが現れ、フロントガラスを磨き始めた。小遣い稼ぎの少年たちだった。日本、そしてスペインとも全く違う世界が広がっていた。もしかして自分はとんでもないところに来たのではないかと要田は思った。

 

 気候との戦い

 

 日本から見て地球の裏側にあるパラグアイは、夏真っ盛りだった。40度を超える上に湿度があり、太陽が高く上っている時間帯は、道を歩くだけでも生命の危険を感じるほどだった。

 

 加えて時差と疲れもあっただろう、要田は頭がぼんやりしており、躯が重かった。

「(練習に参加しても)全然走れない。ボールは触れるんです。でも暑さと湿気で走れない。淵脇さんは、(パラグアイリーグ)1部のクラブに連れていくつもりだったみたいです。でも走れなかった」

 

 まずはパラグアイの高温多湿の気候に慣れ、コンディションを上げることだった。そこで淵脇は要田を2部リーグのクルービ・フェルナンド・デ・ラ・モラというクラブに入れた。

 

 フェルナンド・デ・ラ・モラはアスンシオンのビスタ・アレグレ地区にある1925年創設のクラブである。元々はトリウンフォFCという名前であったが、合併により現在の名前となった。

 

 フェルナンド・デ・ラ・モラの練習場は白い崩れそうな塀で囲まれており、クラブハウスは平屋建ての無骨なコンクリート造りだった。グラウンドの周りに白く塗られた木の棒が打ち込まれ、金網が貼られていた。塀には豚がコック帽を被った絵が描かれていた。スポンサーである精肉業者のマークだった。この企業の支援により、グラウンドの周囲に観客席新設工事が始まるという。

 

 ピッチの中の芝は、雑草に近く、生え放題だった。そして練習が緩いことにも驚いた。

「20人ぐらいでボール回しをして、フリーキックみたいな(セットプレーの練習を)してから、すぐにゲーム(形式の練習)みたいな。スペインの練習を知っていたので、これなんやねんって、こんな感じなんかと最初は思いましたね」

 

 パラグアイ2部リーグの開幕は3月末。約2カ月間で自分の力を見せつける必要があった。

 

(つづく)

 

田崎健太(たざき・けんた)

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。

著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。最新刊は「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。

2019年より鳥取大学医学部附属病院広報誌「カニジル」編集長を務める。公式サイトは、http://www.liberdade.com


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