皆さんこんにちは! 2カ月ぶりのコラムとなります。東京都などいくつかの自治体で緊急事態宣言が再発例されましたが、どことなく世間は"コロナ慣れ"してしまったかのような印象です。


 先月のコラムを更新した後、1月下旬に私の親しい知人がコロナに感染したと連絡が入りました。私はその知人とは昨年の12月以降は会っておらず、濃厚接触者ではありませんでした。本人は「まさか自分がなると思っていなかった……」と話し、症状が出始めた頃は恐怖心と不安感が日に日に増幅してくるとも言っていました。

 

 幸い知人の症状は大きく悪化せず、軽いもので終わり、2週間程度で元気になり、3週間後には仕事復帰を果たしておりました。私も身近な人間がコロナに感染する事が初めてでしたから非常に動揺しました。

 

 こんなときには何をしたら良いのか、どんな言葉をかけたら良いのか。毎日、悩みながらも電話やLINEをしながら本人を勇気づける時間を増やし、自分なりに激励をしてきました。

 

 感染した本人はもちろんのこと、その周囲も大変なんだな……。今回、知人が感染したことで、改めてそのことを実感しました。少し「慣れ」が出てきた対新型コロナウイルスですが、感染予防の徹底をより一層するように心がけています。ワクチン接種もまだまだ先になりそうな情報もあり、不安が拭えない生活が続きそうです。皆さんも今きることを精一杯して、感染予防に務めましょう。

 

 さて、ここからが本題です。今回は「花粉症」についてです。今年の私は2月中旬から花粉症との戦いが始まりました。朝と晩には薬を飲み、ついこすってしまって真っ赤に充血した目には目薬をさしながら、しかめっ面をして毎日を送っています(辛い……)。

 

 私が花粉症になったのはいつからか? はっきりと覚えていますが、それは2005年の春のことです。この年、ニュースでは「今年の花粉は、前年の30倍くらいの飛散量になる」と言われていました。私はになると記事を目にした年でした。03年限りで近鉄を戦力外になり、04年はマイナーリーグに挑戦。そして05年は「もう一度、プロ野球に復帰したい!」と、2月や3月は自宅周辺で毎日5~10キのランニングを行っていました。

 

 このランニングコースは山々の中を縫うようなもので、花粉症とは無縁で花粉のかの字も頭に無かった私はその山の中を悠々と走っていました。ランニングやトレーニングの途中、鼻水やくしゃみが出ることもありましたが「汗で体が冷えたかな」などと思っていたものです。振り返ると練習を終え、家に帰ると、鼻水が垂れていたのですから、これが私の花粉症デビューだったことは間違いありません。

 

 でも、当時はそんな自覚もなく、無我夢中でトレーニングを繰り返していました。イップスだった自分のピッチングを治そうと毎日が必死でした。いつも死に物狂いで制球難を改善しようと頑張っていたのを思い出します。

 

 その年の11月、12球団合同トライアウトを受け、そこではイップスの症状が治らず、散々なピッチングをしてしまい非常に恥ずかしい結果となってしまいました。あのときのトライアウトの投球で野球を諦める決心がつき、次のステージに進もうと考えました。

 

 そして新年を迎え、春が来ました。くしゃみ、鼻水が頻繁に出るようになり、そこでようやく私は「花粉症か」と自覚したのです。前年、プロ野球復帰を目指して毎日走っていたランニングコースを改めて確認してみれば、杉が立派に生い茂っていました。「ああ、原因はこれだったのか」とひとり納得。今でも花粉症の時期になると鼻水やくしゃみで辛いことはもちろん、1人で黙々と苦しいプロ野球復帰の道を模索していたことを思い出します。花粉症の辛さは私にとっては、セカンドキャリア実現に向かっていたときの産みの苦しみと直結しているのかもしれません。

 

 年齢を重ねるごとに花粉症の症状が重くなってきている気がします。外に出るのも億劫になり、自宅でも換気のために窓を開けることもはばかられています。杉花粉の飛散が終わると言われる4月中旬までまだ1カ月月以上あります。耐えて耐えて耐えて耐え抜きます! 皆さんも(いろいろと)お気をつけてお過ごしください。

 

<小野仁(おの・ひとし)プロフィール>
1976年8月23日、秋田県生まれ。秋田経法大付属(現・明桜)時代から快速左腕として鳴らし、2年生の春と夏は連続して甲子園に出場。94年、高校生ながら野球日本代表に選ばれ日本・キューバ対抗戦に出場すると主軸のパチェーコ、リナレスから連続三振を奪う好投で注目を浴びた。卒業後はドラフト凍結選手として日本石油(現JX-ENEOS)へ進み、アトランタ五輪に出場。97年、ドラフト2位(逆指名)で巨人に入団。ルーキーイヤーに1勝をあげたが、以後、制球難から伸び悩み02年、近鉄へトレード。03年限りで戦力外通告を受けた。プロ通算3勝8敗。引退後は様々な職業を転々とし、17年、白寿生科学研究所に入社。自らの経験を活かし元アスリートのセカンドキャリアサポートや学生の就職活動支援を行っている。


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