ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。最近では、あまり見聞きしなくなったフレーズだ。要するにその手のピッチャーが少なくなったということだろう。

 

 

<この原稿は2021年3月14日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

 

 1970年代から80年代にかけて、ボールをグラブの中にしまっておくのがもったいない、とでも言わんばかりにハイテンポでピッチングを展開するサウスポーが2人いた。

 

 1人が中日と阪急で活躍した松本幸行。そしてもう1人が2月20日、73歳で世を去った元ヤクルトの安田猛である。

 

 2人とも球速は130㌔そこそこ。それでいて松本は通算111勝、安田は93勝をあげている。私の目にはバッターが構える前に投げているように映った。

 

 2人とも審判の評判は、すこぶるよかった。ある元審判が語るには「この2人が投げる時は、9時過ぎから飲み始めることができたからね」。そういう時代だったのだ。

 

 安田の誇りは「世界の王」との対戦成績だ。通算868本のホームランを記録した巨人・王貞治に対し、126打数32安打、打率2割5分4厘、ホームラン10本。王の3割1厘という通算打率を踏まえれば、安田の勝ちだろう。

 

 生前、本人はこう語っていた。

「王さんは僕のシュートを嫌がっていました。シュートに対応するため、右足を地面に着けて構えたこともあります。しめた、と思いましたね。僕は王さんに生涯で10本のホームランを打たれていますが、うちスライダーが8本、シュートは2本しか打たれていないんです」

 

 78年の初優勝にも貢献した。松岡弘とともにローテーションの中核を担い、15勝をあげた。

 

 また、いしいたいちの漫画『がんばれ!! タブチくん!!』にも「ヤスダ」として登場し、数々の魔球を披露した。

 

 安田は古巣のコーチになってからも高い評価を得た。教え子の1人に、身長167㌢のサウスポー石川雅規がいる。昨シーズンが終了した時点で通算173勝。「安田さんとの出会いがなければ、ここまで続けられなかった」と石川は言う。

 

 これも生前、安田から聞いた話。

「石川が07年に2軍落ちしていた時のことです。”シュートを覚えたい”と僕に教えを請うた。その頃、石川は左バッターを苦手にしていました。緩いシンカーのようなチェンジアップは持っていたのですが、落ち際をよく狙われていました。左ピッチャーが左バッターに打たれていたのでは仕事になりません」

 

 ――どんなアドバイスを?

「ヒジを少し上にあげ、掌が外を向くように指導しました。かたちで言えば、“くの字”かな。これだとヒジに負担がかからない。そしてボールは中指と薬指の間から抜く。教えたのはたった1日だけですが、それでよくコツを掴みましたよ」

 

 報道によると安田は17年にスキルス性胃ガンと診断され、約1年の余命宣告を受けていたという。昭和のプロ野球を代表する個性派が、また1人いなくなった。合掌。

 


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