昨年オフ、横浜DeNA生え抜きの三浦大輔2軍監督が監督に就任したことにより、セ・リーグの監督は中日・与田剛、広島・佐々岡真司、東京ヤクルト・高津臣吾を含め、6人中4人が投手出身となった。

 

 

<この原稿は2021年4月5日号『週刊大衆』に掲載されたものです>

 

「投手出身は監督に向かない」

 

 生前、そう語っていたのが知将・野村克也である。

 

「投手には自己中心のエゴイストが多い。だからチーム全体のことを考えなければならない監督には向いていないんです」

 

 こうした偏見を見事に覆したのが福岡ソフトバンク監督の工藤公康である。6シーズンで3回のリーグ優勝、5回の日本一は見事。近年はすっかり“名将”の風格が身についてきた。

 

 しかし、セ・リーグに目を移すと、投手出身監督のリーグ優勝は2003年の星野仙一(阪神)が最後。日本一となると98年の権藤博(横浜)まで遡らなければならない。

 

 ヤクルトの監督時代、野村は権藤を無能よばわりしていた。

「ミーティングをやらないなんて信じられん。監督の仕事を放棄しているようなもんや」

 

 こうしたノムさん一流の挑発に権藤は乗らなかった。

「あぁ、僕は何も考えてないですよ。やるのは選手ですから」

 

 実は敵味方問わず、権藤ほど選手の動きを細かくチェックしていた監督はいない。卓抜の観察眼は、相手打者にまで及んだ。

 

「自軍の投手を見るのが投手コーチの仕事ですが、僕は相手打者のことも相当見ている。なにしろ、こっちは打者を倒さなければ商売にならないんだから。どこをどう攻めれば痛い目に遭わないか。ある意味、そればかり考えていたといってもいい」

 

 権藤によると、ボールの見送り方ひとつで、その打者のレベル、好不調がわかるという。

 

「同じ見逃しでも、ボール球に反応して、途中で止まるくらいだと“こいつ打てないな”となるけど、ピクッとしただけ見送り、あとは知らん顔となったら怖い。“これはストライクを投げたらやられるぞ”と……」

 

 先の4人にも投手出身者の優位性を示してもらいたいものだ。

 


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