選手や関係者のワクチン接種に関し、積極的な発言を続けていたIOCトーマス・バッハ会長にすれば“渡りに舟”だったのだろう。先のIOC総会でCOC(中国五輪委員会)から東京五輪・パラリンピックと2022年北京冬季五輪・パラリンピック出場者に向け、新型コロナウイルスのワクチン提供の申し出があったことを報告した。

 

 これに対する日本政府の回答は「(東京大会は)ワクチンの義務を前提としていない」(丸川珠代五輪相)。直截に言えば“ありがた迷惑”という態度だ。

 

 COC会長の苟仲文は中国におけるスポーツの総元締めとも言える国家体育総局の局長をも兼任している。国家体育総局は中国における最高位の行政機関・執行機関である国務院の直属機構のひとつであり、IOCが唱える「政治的中立性」とは無縁な組織だと認識すべきだろう。

 

 すなわちCOCからのワクチン提供は、必然的に中国政府の“ワクチン外交”の一環として行われるものに他ならず、仮にそれが善意によるものであったとしても、甘い誘いには乗らず、慎重に対応すべき性質の事案ではないか。

 

 というのも、来年2月に北京五輪・パラリンピックを控える中国政府にとって、新疆ウイグル自治区の少数民族ウイグル族への「人権弾圧」に対する欧米からの抗議は目障り、耳障り以外の何物でもないからだ。

 

 言うまでもなく五輪憲章は「いかなる差別」も禁じている。差別の中には「人種」や「言語」「宗教」も含まれる。ウイグル族への「弾圧」は、それに該当しないのか。欧米のメディアは中国の“ワクチン外交”を「IOCと中国政府に対する批判が強まる中、中国の動きは興味深い」(英ロンドンタイムズ)。「ワクチンに関するIOCとの合意は人権問題への批判をそらす手助けになるかもしれない」(米ニューヨークタイムズ)と懐疑的に伝えている。

 

「沈黙は賛同である」。最近、よく耳にする言葉だ。中国の反オリンピズムとでもいうべき数々の行為に対し「沈黙」し続けることは、すなわち「賛同」と見なされかねない。「IOCは国連やG7も解決できない問題を解決する“超世界政府”ではない」とバッハ会長。誰もIOCに国家規模の問題を解決しろ、などと無茶なことは言っていない。理念を説き続けることにIOCの存在意義があるのだ。強権中国に対して及び腰なのはなぜか。オリンピズムが泣いている。

 

<この原稿は21年3月17日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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