メジャーリーグの日本人パイオニアである野茂英雄が最も憧れるピッチャー――それがロジャー・クレメンスである。
 近鉄時代、彼は私にこう言った。

「僕はプロに入って2度、メジャーリーガーたちと対決するチャンスがあった。1990年と92年のオフに行われた日米野球です。
 その中で一番の思い出といえば、1試合20奪三振のメジャーリーグ記録を持つロジャー・クレメンスを間近で見られたこと。クレメンスは別にマウンド上で派手なパフォーマンスひとつするわけやないのに、気がつくと見入ってしまう迫力があった。
 風格というか、見ているだけで震えがきましたね。手本にする前に見とれてしまった。もし今度、クレメンスが日本で投げる機会があったら、僕は自分で切符を買ってでもいいから見に行きたいと思っています」

 クレメンスに憧れたピッチャーは、もちろん野茂だけではない。昨季限りで引退した吉井理人もクレメンス・フリークのひとりである。
 通算354勝は歴代8位。そのシーズン、最高のピッチャーに贈られるサイ・ヤング賞はア・ナ両リーグで通算7度も獲得している。
80年代から2000年代にかけてメジャーリーグで最も活躍したピッチャーといっても過言ではないだろう。

 そのクレメンスが薬物疑惑の渦中にある。
メジャーリーグの薬物使用の実態をまとめた「ミッチェル・リポート」で実名を挙げられたのだ。
CBSの番組で「元トレーニングコーチから禁止薬物を注入されたのではないか?」と質問されたクレメンスは、「彼が注射したのはリドカインという局所麻酔剤とビタミンB12である」と答えている。

 クレメンスの成績を調べると、確かに“怪しい部分”がある。
 クレメンスはレッドソックス時代の90年、21勝を挙げているが、徐々に徐々に成績は下落し、94年は9勝、95年と96年は10勝に甘んじている。言葉は悪いが、“並みのピッチャー”に成り下がっていた。
 ところが97年、ブルージェイズに移籍した途端、21勝を挙げ、最多勝のほか、最優秀防御率、奪三振王、サイ・ヤング賞に輝いた。翌98年も20勝を挙げ、前年同様に最多勝、最優秀防御率、奪三振王、サイ・ヤング賞を獲得。カナダの地で華々しく復活をとげたのである。

 97、98年といえば、メジャーリーグが最も薬物に汚染されていた時期と言われる。マーク・マグワイアとサミー・ソーサが年間最多本塁打記録を巡る“世紀のマッチアップ”を演じたのも98年だ。
 しかし、怪しいからといって、クレメンスを“容疑者扱い”してはいけない。
「ミッチェル・リポート」には不確かな文面があり、メディアは“冤罪”を生まないようにもっと慎重に対応すべきだろう。現在のところ、クレメンスは禁止薬物の使用を認めてはいない。

<この原稿は08年1月27日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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