北京五輪出場を決めた星野ジャパンが、もし台湾でのアジア予選に負けていたら、“お友達内閣”がやり玉に上がっていたことだろう。
 周知のように星野仙一監督と田淵幸一ヘッド兼打撃コーチ、山本浩二守備走塁コーチは六大学時代からの親友。プロに入ってからも「セン」「ブチ」「コウジ」と呼び合う仲だった。

 3人の結束の強さは、星野監督が北京五輪出場を目指す日本代表監督に就任するとすぐに、田淵と山本をコーチに指名したことでも明らかだろう。
「仲良しトリオで勝てるのか」
 との批判に、星野はこう答えている。
「批判があるのは知っている。結果を残せばええんやろう」
 またこんな発言も。
「オレたちはしぶといし、粘っこい。団塊の世代をなめたらアカン」

“お友達”で固めたコーチ陣の中で、唯一、異彩を放っているのが、投手コーチの大野豊である。
 本人も、まさか星野ジャパンのコーチングスタッフに呼ばれるとは思っていなかったらしい。ある時、率直に田淵にこう聞いたという。
「なんで僕が呼ばれたんですかねぇ?」
 田淵の答えはこうだった。
「オリンピックを経験しているのはオマエだけなんだよ」

 大野は長嶋ジャパンの投手コーチとしてアテネ五輪を経験している。オールプロで固めた初めての代表チームだったが、予選リーグ、準決勝とオーストラリアに2度続けて敗れ、銅メダルに終わった。

 長嶋茂雄日本代表監督が倒れた後、アテネで指揮を執った中畑清ヘッドコーチが「銅メダルは“金と同じ”と書く。つまり金メダルに等しい価値がある」と語ったが、あれは笑えないジョークだった。

「アテネでは先発ピッチャーの情報が漏れていた可能性もある。国際大会の恐ろしさは経験したものじゃないとわからない」
 アテネから帰国した大野はそう語ったものだ。

 星野監督からアテネ五輪に続いて投手コーチに指名された大野は幸運にもリベンジの機会を得ることができた。アテネの仇を北京で討つという寸法だ。
「アテネでは予選リーグから全部勝ちに行こうとして失敗した面もあった。もちろん全部勝つに越したことはありませんが、過去の大会を振り返ると、2つまでなら負けても予選は通過できるんです。あくまでも目的は決勝トーナメントに進出し、金メダルを取ることですから!」

 大野はアテネの失敗をこう振り返り、続けた。
「一番、大切なのは前回敗れた準決勝。ここがヤマでしょう。準決勝さえ乗り切れば金メダルが見えてくると思います」
 金メダルと銅メダルの違いを、少なくとも大野は痛いほど知っている。

<この原稿は07年1月6、13日合併号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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